ツチヤの口車 第1300回 土屋 賢二 2023/07/15

気高い自由の戦士

 ぐっすり眠った(ねむった)満足感を長年(ながねん)味わっていない。寝起きも悪いが、とくに悪いのは寝つき(having difficulty falling asleep)だ。高校生までは寝つきはよく、1日10時間ほど眠っていた。それでも起きるときは、いつももっと眠っていたかった。それほど睡眠が好きだった。

 大学に入ると、どんなに眠くても寝つけなくなった。枕のせいかと思って色々買い替えたが、変わらなかった(眠ったとたんに枕が頭から外れるためかもしれない)。いまは眠気(ねむけ)をできるかぎり我慢して、気絶するように眠っている。

 スマホをベッドで長時間見たり、コーヒーを浴びるほど飲んでいるが、それが原因ではない。スマホがない時代もコーヒーを飲まない時期も同じだったからだ。

 最近、寝つけない原因が分かった。どうやら「リベンジ夜更かし(夜更し、よふかし)」のせいらしい。睡眠を犠牲にして、自分の自由な時間を取り戻そうと夜更かしすることだ。

 大学に入って自由の味を知ったわたしは、貪欲に自由を求めた。腹が減れば食べ、眠くなれば眠るという自然の摂理(せつり)でさえ、自由を侵害するものだと感じられ、「そんな自然の本能に引きずり回されてたまるか」と考え、腹が減っても食べず、眠くなっても眠らないよう闘っていた。食事や睡眠が自由を奪うものに思えたのだ。自然に逆らえないことは明らかなのに、逆らおうとしていたのだから実に愚かである。

 決まった時間に寝起きするのも理不尽に思えた。実に理不尽な考えである。

 この心理は、大学生のときから現在まで60年間ほぼ一貫している。わたしは、眠れないのではなく、眠るのを拒否しているのだ。自由のために。

 それで合点がいった。わたしが一番好きなジョークが、マーク・トゥウェインの若者へのアドバイスだという理由も理解できる。

「ヒバリとともに起きるようにしましょう。さいわい、ヒバリは訓練すればこちらの望む時間に起きるようになります」

 マーク・トゥウェインの話は、自然に服従するか抵抗するかの二者択一(にしゃたくいつ)しかないと思い込んでいるところへ、思い通りに自然を変えるという第三の道を示しており、先入観に凝り固まった(こりかたまった)わたしには衝撃的に面白いのだ。眠気に抵抗するのに比べ、何と洗練され、どれだけ笑えることか。

 合点がいったのはジョークの好みだけではない。学校や会社をサボると解放感に満たされる。この解放感は、仕事を終えたときの解放感とは違い、仕事がないときの解放感(仕事がなければ「解放」されようがない)とも違う。仕事に振り回されている自分に気づいたとき、「仕事なんかに振り回されてたまるか」という心境になってサボり、それによって自由を取り戻した気になるのだ。仕事を拒否して自由を得ようとするのは、睡眠を拒否して自由を取り戻そうとする態度と根は同じである。

 仕事がイヤな仕事であろうと、やりたい仕事であろうと、関係ない。指折り数えて楽しみにしていた会食や旅行でも、参加すれば先頭に立って大騒ぎするくせに、当日の朝にはサボりたくなり、実際にサボると、この上ない解放感が得られるのだから、よっぽど自由がほしいのだ。

 これほど自由を求めているのだから自由の戦士と言っていい。では眠るのを拒否し、仕事をサボるまでして得た「自由」を何に使っているのか。それを知れば、どこまで愚かなのかと驚くに違いない。わたしは自由をスマホやテレビなど、何の意味もない、1円の得にもならないことに浪費しているのだ。愚かに見えるだろうが、気高いとも言えよう。結論が出た。わたしは何の見返りも求めない愚かで気高い自由の戦士だ。

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