ツチヤの口車 第1297回
人生最大の奇跡
人生の混迷期に入ったのは大学生のときだった(それがまだ続いている)。
大学の近くに四畳半の部屋を間借り(まがり)して、万年床(まんねんどこ)から出る手間を省くため、すべての物を手の届く範囲に配置していた。ゴミ屋敷になってもおかしくなかったが、ゴミが出るほど物を買えなかった。その中で、ただひたすら哲学の研究に打ち込んでいた。
こう書くと、目を輝かせて研究に励む春秋に富んだ(とんだ)若者を思い浮かべるかもしれないが、実際には絶望の淵でもがき苦しむ毎日だった。金も就職も愛も幸福も未来も捨て、哲学の問題と格闘していたが、解決の見込みも兆しもなかった。あらゆる解決の可能性を探っては失敗に終わる絶望の暗闇の中でもがいていた。
暗闇の中で唯一燦然と(さんぜんと)光を放っていたのは、女性ボサノバ歌手アストラッド・ジルベルトだった。声を張り上げもせず、ささやくでもなく、淡々と鼻歌のように、不確かな(ふたしかな)音程で歌う、聞いたことのない歌い方だった。すぐにわたしのアイドルとなり、レコードジャケットの写真を見ては「ぼくのアストラッド(アストリッド(Astrid)は、北欧起源の女性名)」と呼びかけていた。いくら写真を見ても、ほど遠い存在なのだから、状況をさらに絶望的にしてもおかしくないところだが、不思議なことに、ただ一つの希望の光、暗闇の中の一筋の光だった。
泥沼の日々が続く中、浅草(あさくさ)をさまよい歩き、おもちゃ屋の前にさしかかったとき、雷に打たれたような衝撃が全身に走った。目の前に太陽が、ぼくのアストラッドがいる! 何度も目を疑い、視神経を疑い、脳を疑った。レコードジャケットの写真しか知らなかったが、見紛う余地(みまがうよち)はなかった。
店内(てんない)を見ている彼女の横には日本人の男がついている。音楽関係者で通訳をしているのだろう。勇気をふりしぼって男に「アストラッド・ジルベルトさんですか?」と聞くと、「そうですよ」と答えた。「そうです。ぼくはアストラッド・ジルベルトです」という意味ではないことが、明敏な(めいびんな)わたしにはすぐに分かった。
夢がかなった瞬間にはことばが出てこないものだ。「あー、うー」も「東京特許許可局」も出てこない。この世に存在するとは思わなかったから、何を話したらいいのか見当もつかない(けんとうもつかない)。
後から考えると、こう言うことはできたと思う。
「毎日あなたのレコードを聞いています。あなたはわたしの人生を照らす太陽です。天照大神(あまてらす おおみかみ)です。観音様(かんのんさま)です。わたしは貧乏であなたを養う(やしなう)ことはできませんが、養われることはできます。哲学を教えるのはまだ無理です。ハンサムだけがとりえですが、ギターが弾けます。人前では通用しないかもしれませんが、海辺で2人だけで共演しませんか? つきましては今日でも明後日でも来年でも食事しながら相談しませんか? ひいきにしている食堂をご案内できます。農学部の学生食堂がおすすめです」
と本心を吐露したら、にべもなく断られただろう。
実際に口をついて出てきたのは「サ、サインをお願いできませんか?」ということばだけだった。しかも本人にではなく、日本人男性に日本語で聞いたのだ。断られても文句は言えないところだが、男は「いいですよ」と快諾してくれた。気が変わらないうちに、もっていたハイゼンベルクの『現代物理学の思想』を差し出した。一瞬、その男が自分の名前をサインするのではないかと心配したが、アストラッドがサインして、にっこり微笑んだ。握手をしたかどうかは覚えていない。そのせいか感触も覚えていない。
それがわたしの経験した人生最大の奇跡だった。そのアストラッドが先日亡くなった。その日一日、思い出に沈んだ。
Astrud Gilberto(アストルーヂ・ジウベルト)、1940年3月29日 - 2023年6月5日)は、ブラジル出身の、ボサノヴァ、ジャズ、ポピュラー音楽の歌手。
- まんねんどこ 3【万年床】 敷きっぱなしになっている寝床(ねどこ)。