ツチヤの口車 第1294回 2023/06/03

代わりにやってもらえないもの

 われわれは多くを他人に頼っている。毎日食べる野菜、肉、魚を作っているのは他人だし、歩いている道路を作ったのも他人だ。

 住んでいる家を作ったのは膨大(ぼうだい)な数の人々だ。設計、建築資材(たとえば木材)の伐採(ばっさい)、運搬(うんぱん)、加工(かこう)、運搬するトラックの製造、石油の採掘(さいくつ)やガソリンの精製(せいせい)、ガソリンスタンドの建設など、無数の人々が担当している。

 スマホに至っては、設計、筐体製造(きょうたいせいぞう)、半導体や電池の製造、それらの原材料の調達、製造、販売、インターネット回線の構築・維持、発電など、何人が関わっているのか見当もつかない。

 記憶はスマホのメモ、計算は電卓まかせ、漢字変換はパソコンまかせだ。

 生活のほとんどを他人やコンピュータに丸投げしているおかげで、膨大な自由時間が手に入る(いる)。その時間を、テレビや映画やギャンブルに使っているが、それでさえ、早送りで見、AIにあらすじを教えてもらい、ギャンブルもAIに丸投げすれば、さらに時間が余る。

 そうなると、人間はすることがなくなりそうだが、そうはならない。他人まかせにできないものが三種類ほどあるからだ。

【1】他人にまかせることが絶対に不可能なもの。

 ジムで鍛える(きたえる)、風呂に入る、歳を取る、風邪を引く、生きる、眠る、食べる、ドラマを見る、痛がる(いたがる)、死ぬなど、だれかに代わってもらうことは不可能だ。

【2】他人や機械に代わってもらうことは可能だが、代わってほしくないもの。

 砂遊びをしている幼児に「AIやロボットが代わりにやってくれるよ」と言っても、幼児はやめようとしないだろう。

 趣味で家庭菜園(さいえん)をやっている人なら、菜園の作業は他人にまかせないだろうし、釣りをする人に「魚屋に行けば大きい魚が手に入るよ(てにはいるよ)」と忠告しても釣りをやめないだろう。たどたどしくピアノを弾いている人に「上手な人に代わりに弾いてもらったら?」と助言したら「代わりに弾いてもらうぐらいならCDを聞く」と答えるだろう。これらの場合、他人に代わってもらうのは、ミステリを読んでいる途中で犯人(はんにん)を教えてもらうに等しい(ひとしい)。一番おいしい部分を他人に譲るのだからうれしいわけがない。

 最近登場したチャットGPTによって、俳句や詩や小説を書く創造的仕事までAIに奪われる可能性があると言う人もいる。だが将棋AIが作られてもプロ棋士は減らず、バッティングマシンが作られても投手になりたがる人は多い。AIの登場で文章のプロになるのは難しくなるだろうが、詩や小説をAIにまかせるのは、映画を代わりに見てもらったり、音楽を代わりに聞いてもらったり、料理を代わりに食べてもらうようなものだ。芸術的なものはみずから創造するところに面白さがあるからだ。

【3】代わりにやってもらうこと自体に根本的な(こんぽんてきな)問題があると思える場合。

 毎日の仕事を【2】の釣りや砂遊びの延長として考えることはできないだろうか。『荘子』には、水汲み(みずくみ)を飛躍的にラクにする「はねつるべ」が発明されたのに、それを使うのをかたくなに拒み、非効率的なやり方で水を汲む老人の話が出てくる。

 たぶんこの老人は、水汲みの重労働を、幼児が砂遊びをする気持ちでやっているのではないかと思える。水汲みの仕事を好きでやっている人に、「便利な装置を使うと簡単だよ」「ロボットが代わりにやってくれるよ」などと教えても、鼻で笑われるだけだろう。

 最近、毎日食器洗い(しょっきあらい)をしているが、「食洗機(しょくせんき)を使ったら?」との忠告を鼻で笑っている。使い方を知らないのだ。

代わりにやってもらえないもの.png