青木 るえか 2023/06/10

展開なのかそれとも……日曜の夜におびえる私に刺さる

 日曜の夜ぐらいは心穏やかに過ごしたい。月曜がつらくて、『笑点』と『サザエさん』のテーマソングが聞こえただけで死にたいと思うような人間の、心をムダにかき乱してくる日曜晩のドラマ、『日曜の夜ぐらいは…』。

 ファミレスで働きながら車椅子の母親を介護しているサチ、タクシードライバーの翔子、祖母と2人暮らしをしながらch竹輪麩(ちくわぶ)工場で働いてる若葉。3人ともつまらない日常をやりたいこともなく暮らしている。その3人がラジオ番組のバスツアーで一緒になり、楽しい時を過ごし、戯れに(たわむれに)3人で買った宝くじで3000万円が当たる。3人は「これを資金に憧れ(あこがれ)のカフェをやろう!」ということになる。「なんだ? 大人の御伽話(おとぎばなし、fairy tale)か?」と言いたくなりそうだが、見ているとそうじゃないのだ。

 まず、ドラマでよくある「さえない女とかいってそのルックスならぜったいチヤホヤされるだろう! 悔しかったら私の顔と交換して真の冴えない女の道を歩いてみろ!問題」だが、清野菜名(サチ、せいの なな、1994年10月14日—)も岸井ゆきの(きしい ゆきの、1992年(平成4年)2月11日 - )、翔子)も生見愛瑠(ぬくみ める、2002年〈平成14年〉3月6日 - 、若葉)も、ことさらヨゴレメイクをしているわけでもなく今風で充分可愛いのに、きちんと「これはぱっとしない生活をしてる女の子」だとわかるのだ。

日曜の夜ぐらいは.png

 サチの車椅子の母を演じてるのが和久井映見(わくい えみ、1970年12月8日 - )なんだが、それも最初は和久井映見と気づかぬ見事なオバサンぶり。その母が明るいオバサンだというのもかえってリアリティがある。

 リアリティ。話に芯がないのにリアリティだけ追求するとドラマが隘路(あいろ)に迷い込んだりするが、これ、そのへんが絶妙なんです。若葉には毒母(どくはは)(矢田亜希子(やだ あきこ、本名同じ、1978年12月23日 - )!)がいてサチには母と離婚したクズ父(尾美としのり(おみ としのり、1965年12月7日 - )。絶品のクズぶり)がいる。3人のカフェ計画の仲間に入る「みねくん」(バスツアーのラジオの有名リスナー(listener)。見るからに良さそうな人だけに怪しくも見えてくる岡山天音(おかやま あまね、1994年6月17日 - )、カフェプロデュース会社の「賢太くん」(爽やかなイケメン。カッコよすぎて詐欺師に見えてくる川村壱馬(かわむら かずま、1997年1月7日 - )。もう、脇役を見てるだけで、3人がカフェがらみで悲惨な目に遭うんじゃないかという不安しか湧いてこない。

 日曜の夜にそんな胸糞話なんか見てられっか!とテレビを消す……となりそうなのにそうはならないんだ。いったんは悲惨な目に遭うことはもはや織り込み済みで、そこには何か救いがあって、日曜日の夜に見てもよかった、と思える展開が待っているのでは……とすがりたいような気持ちで見てしまう。

 それにしてもこの『日曜の夜ぐらいは…』というタイトルはよくできている。日曜の夜におびえている私のような者には刺さりまくり、つい覗き見てやめられなくなる。