2023/07/05

岸田最側近・木原誠二副長官〈衝撃音声〉「俺がいないと妻がすぐ連行される」

 岸田最側近として日本の政策決定を担う(になう)木原誠二(きはら  せいじ)官房副長官。実は5年前、妻が、ある殺人事件の重要参考人として警視庁から聴取されていた。捜査幹部は「夫が自民党の国会議員でなければ…」。そして、木原氏の愛人が当時のことを語った音声の存在。一体、この男は何者なのか。

 伊勢国(いせくのに)の玄関口として栄えた愛知県名古屋市のベッドタウン。2018年10月9日、澄んだ空を射抜くように複数台のバン(Van)が商業施設に滑り込んだ。その日の最高気温は27度。夏の残り香が漂う中、後部座席を降りた警視庁捜査一課(いっか)の捜査員らは、隣接する分譲マンションの4階を目指す。築12年、約80平米の部屋には、老夫婦がひっそりと暮らしている。捜査員の1人が手にしていたのは捜索差押許可状(そうさく さしおさえ きょかじょう。そこには「殺人 被疑事件」と記されてあった。

「この日、家宅捜索が行われたのは、06年4月10日未明に覚知した(かくちした)不審死事件に関するものだ。本件は長らく未解決の扱いだったが、発生から12年が経過した18年春に、未解決事件を担当する捜査一課特命捜査対策室特命捜査第一係(だいいちがかり)が中心となって再捜査に着手(ちゃくしゅ)していた」(捜査関係者)

 その日、部屋に踏み込んだ捜査員は押収品(おうしゅうひん)を入れた複数の段ボールを捜査車両に忙しなく(せわしなく)運び込んだ。

 さらに同日、別の捜査員が向かった先は、約350キロ離れた東京・豊島区(としまく)のマンションだった。約80平米の部屋に住んでいたのは、産まれたばかりの乳児がいる一家。捜査員が30代後半の母親に任意同行を求めた(もとめた)が、夫の存在が捜査陣の間でも懸念されていた。夫とは木原誠二官房副長官(53)、その人である。

ゼレンスキーと木原誠二.png

「若き財務官僚の頃から恋多きモテ男(こいおおきもてるおとこ)として知られた木原氏は、元ホステスのX子さんと結婚。14年に長女、18年に長男に恵まれ、現在は彼女の2人の連れ子を含む6人家族の大黒柱(だいこくばしら)です」(木原氏の知人)

 18年当時、木原氏は自民党の政調副会長兼事務局長という枢要(すうよう)な立場にあった。ポスト安倍をうかがう岸田文雄政調会長(当時)の絶大な(ぜっだいな)信頼を得ていたからだ。そんな男の妻に警視庁捜査一課が突きつけたのは、不審死事件の“重要参考人”の疑いだった。冒頭の家宅(かたく)捜索を受けたマンションは、彼女の実家である。

 それから4年9カ月の月日が流れ、木原氏はさらに権勢を増し、今や“影の総理”と言われるほどだ。岸田首相が掲げる「異次元の少子化対策」を発案するなど、重要政策はすべて彼のもとを通過する。

「政策だけでなく、政局もできる。最近、菅義偉前首相とともに公明党の会合に立て続けに参加しているのも、岸田首相からこじれにこじれた公明党との関係修復を任されているから。彼がいないと岸田政権は回りません。宏池会(こうちかい)の次の総裁候補は林芳正((はやし よし)外相、その次が木原氏だという声もある」(政治部デスク)

 他方、私生活についてはこんな頑なさを見せる。

「我々はキーマン宅を夜回りし、官邸など公(おおやけ)の場では聞けないことをオフレコで聞くのも重要な仕事。でも彼は『自宅は絶対教えない。夜回り(よまわり)に来たら縁を切る。代わりに携帯には出るから』と自宅が露見するのを恐れるのです」(同前)

 ピカピカの経歴を誇る超エリートである一方で、本妻と愛人A子さん、2つの家庭で子をなし、二重生活を送っている木原氏。この男、一体何者なのか――。

 新緑に囲まれた区立公園に隣接する都内の閑静な(かんせいな)住宅街。美男美女の若夫婦が住み始めたのは、00年頃のことだった。

「もともと、あの一軒家は警察官の一家が住んでいました。いつしか両親は引っ越し、代わりに娘さんと若い旦那さんが2人で住むようになった。間もなく長男、長女が生まれ、七五三(しちごさん)のときは正装してお出かけしたりしていたから、幸せそうな一家に見えましたよ」(近隣住民)

 だが、家族団欒の風景は一変する。06年4月10日の出来事だった。

「家の外が騒がしくて目が覚めたところ、パトカーが2台停まっていて、警察官が物々しい様子で出入りしていました。部屋からは『私、何も知らないわ!』という若奥さんの泣き喚く声がしました」(同前)

 その日不審死を遂げたのは、風俗店勤務の安田種雄(やすだ たねお)さん(享年28)。彼の当時の妻こそ、X子さんだった。

「あの日、息子に貸していたハイエースのバンを返してもらうため、夜中の3時頃に目覚めて息子宅に向かったのです。すると家の前に車が路駐(ろちゅう)してある。『この野郎、こんなところに車停めて』と思いながら家に行くと、玄関のドアが開いていたんです」

 時折言葉を詰まらせ、沈痛な面持ち(おももち)」で振り返るのは、安田さんの実父である。1階には台所、洗面台、トイレなどの生活スペース。階段を上ると、広い居間がある。この日、真っ暗な室内の底には、ひんやりとした空気が沈殿(ちんでん)していた。

「居間のドアも開いていて、一歩足を踏み入れると、そこに息子の頭があったのです。『おい、この野郎。こんなところで寝たら風邪ひくぞ』と身体を起こそうとしたとき、足の裏を冷たいものが伝った」(父)

 部屋の照明のスイッチを手探りでつける。眼に飛び込んできたのは血の海。そこに息子の亡骸(なきがら)が溺れていた。血糊(ちのり)に染まったタンクトップとカーゴパンツ。血飛沫(ちしぶき)は天井に達している。仰向けに倒れた安田さんは眼を見開き、息絶えていた。実父の脳裏には、17年経った今もその光景が鮮明に焼き付いているという。

「体は硬直(こうちょく)し、血は固まりかけていた。右の太腿の2、30センチ右には細長いナイフが綺麗に置かれていました。住所がわからなかったので、一旦家の外に出て住所表記を確認し、すぐ110番通報しました」

 通報時刻は、10日の午前3時59分。日の出の1時間ほど前の住宅街は闇に覆われ、外は摂氏十度に満たず、吐く息は白かった。

カラオケの十八番は工藤静香(くどう しずか)

「(管轄である)大塚署(おおづかしょ)の警察官が駆けつけ、私は1階で事情聴取を受けました。気になったのが、X子と子供2人の存在。刑事さんに『どこにいるんですか』と聞くと、『本人は2階の奥の寝室にいたそうです』と言うんです」(父)

 X子さんは警察の調べに対し、「私が寝ている間に、隣の部屋で夫が死んでいました」と供述したという。

「ナイフを頭上から喉元に向かって刺したと見られ、その傷は肺近くにまで達していた。死因は失血死。さらに安田さんの体内からは致死量の覚醒剤(かくせいざい)が検出された」(前出・捜査関係者)

 警察の当初の見立ては、覚醒剤乱用による自殺ではないかというものだった。

「2階のテーブルと作業台の上で覚醒剤が入った約2センチ四方のビニール袋が発見されたのですが、不思議なことに血が付着していた。刑事さんに『なんで血がついているんですか。指紋は調べたんですか』と聞くと『検証作業をしている間に怪我をして血が付いたんじゃないですかね』と言っていた。それに自ら喉を刺したとすれば、なぜナイフが丁寧に足元に置かれていたのか。疑問点を考え出せばキリがなかった」(父)

 さらに遺族に追い打ちをかける事態が続く。翌日、安田さんの両親は大塚署前の喫茶店で親族とともに、捜査員からの遺体の引き取りについての連絡を待っていた。電話を掛けてきた捜査員は「X子さんは遺体を引き取らないそうです」という。ほどなくしてX子さんから電話があった。

「私、遺体は引き取りません。……お父さんの心境はどうですか?」

 父は、言葉を失った。

「今でも忘れられない。私は『葬式のときは子供も連れて線香の一本でもあげに来なさい』と言いましたが、すぐに電話が切れてしまった。彼女と話したのは、それが最後。それから今まで孫と会うこともできていません」(父)

 前出の捜査関係者が語る。

「遺族が納得していないことを考慮し、自殺として処理するのではなく、未解決の不審死事案として扱うことになったのです」

 28年の短い人生を閉じた安田さんは地元の中学校を卒業後、高校を中退。地元の暴走族に入り、青春時代を過ごした。やがて更生し、配管工として働く一方、180センチを超える長身と端整な顔立ちで雑誌モデルとしても活躍する。そんな安田さんに惹かれたのが、同じ雑誌モデルだったX子さんだった。

 2つ下のX子さんは79年生まれ。父は警視庁の警察官。母はエステ店を営んでいた。首都圏の高校に通う傍ら、97年夏に雑誌モデルとしてデビュー。稲森いずみと内田有紀に憧れ、カラオケの十八番は工藤静香の「Blue Velvet」だった。安田さんの父が語る。

「付き合っていた頃は、種雄が車で彼女の通う短大に迎えに行ったりしていました。結婚したのは、種雄が23歳の頃。結婚の話が出たとき、バンドマンだった彼女の兄が『式をやってもいいけど、(その費用を)結婚生活の資金にしてもいいんじゃない』と提案。結局、式はあげなかった」

 間もなく2人は長男、長女を授かる。だが、父にとってX子さんの態度は奇妙に映ることもあった。

「結婚したての頃、子供たちを連れて実家に来ることもありました。でも、女房が食事を出しても指1つ動かさず、片付けもしない。1回も皿を洗ったのを見たことがない。僕がそれを女房にいうと、『いいじゃないの』と怒るので、何も言わなかった」(同前)

 結婚後、安田さんは一度だけ地元の親友にX子さんを紹介したことがある。

「これ、嫁です」

 彼女は夫の不良仲間を前に俯いた(うつむいた)。親友が明かす。

「飯も一緒に食べたけど、彼女は暗いというか、種雄の隣に座っているだけで、まったく喋らなかった。種雄は子供を溺愛していて、長男にはラジコン(radio control】)なんかのおもちゃを大量に買い与えていた。『俺もそろそろ学資保険に入りたいんだ』なんて話もしていたんです」

 結婚から数年後、安田さんは渋谷区内の風俗店で働き始める。途端に羽振りが良くなると、X子さんに変化が見られたという。

「今まで実家に来てもあまり話もしなかったのに、夫が家に金を持ってくるようになると、みるみる表情が明るくなっていった。でも、それも長くは続かなかった。店長を任せていた子が金を全部持って逃げてしまったそうなんです」(父)

 やがて夫婦関係は別の男性の出現により瓦解(がかい)する。

「種雄とX子はフリーマーケットが好きで、大井競馬場や代々木公園で店を出すことが多かったのですが、そこで靴を売っていたYという男と知り合った。ある時、家族皆でフリマに遊びに行ったところ、いるはずのX子がいない。種雄のベンツの車内で、Yと2人きりで寝ていました」(同前)

 10歳ほど上のY氏と親密になったX子さんは、やがて子供を連れ、夫のもとを飛び出した。前出の親友が言葉を続ける。

「種雄が死ぬ半年ほど前です。『離婚したいんだ。でも子供は俺が守りたい』と言っていた。相当悩んでいるように感じました」

 その後の半年間は、壮絶な日々の連続だった。

「1、2カ月間、X子は行方不明になり、そのたびに種雄はYと連絡を取り、居場所を探しに行く。大阪や浜松に行っているらしい、とYから聞かされれば、その足で探しに行っていました。ある日、種雄に電話すると『子供たちに会いに大阪に来た。Yが大阪にいるって言うから』と大好きな子供たちを探し回っていた。でも、種雄はX子とYに騙されていたんです」(父)

 不審死を遂げる1週間前の出来事だった。

「種雄くんと離婚します。『離婚するのに判子が必要だったら、お父さんに聞いて』って彼が言っているんですけど。お父さん、いいですか?」

 電話口で安田さんの父に対し、X子さんは冷静にそう言った。父は「それなら2人で来なさい」と話したが、結局彼女が実家を訪れることはなかった。

「X子が1、2カ月ぶりに自宅に戻ってきたのは、事件前日。その日、種雄はYの地元に入り浸っていた(いりびたっていた)X子と子供たちを車に乗せて連れ戻してきたのです。種雄に電話で『離婚届に判を押したのか』と聞いたら『押したよ。手元にある4、50万円をX子に全部渡した』と言っていた」(父)

 安田さんが不帰の客となったのは、それから間もなくのことだった――。

 告別式が行われた日、世田谷区内の教会には300人を超える弔問客が訪れた。出棺(しゅっかん)の際、当時の不良仲間たちはB’zのヒット曲「いつかのメリークリスマス」をアカペラで唄い、見送った。彼が一番好きな曲だった。安田さんの父が在りし日(ありしひ)を思い起こす。

「種雄は雑誌のモデルとして人気No.1になったこともある。子供の頃は不良仲間とパチンコ屋の店員を殴って少年院に入ったこともあったけど、仲間に対しては悪いことはしないから、先輩も後輩もみんなあの子のことが大好きだった」

 だが、告別式に来るはずのX子さんは姿を見せなかった。前出の親友が語る。

「もう1つ、不思議なことがあった。種雄はフランクミュラーやロレックスの時計や、シルバーのベンツS500を持っていたんだけど、X子から親父さんに遺品が返ってきたとき、そういうのは全部なくなっていた。戻ってきたのは段ボールに詰められた下着などの衣類だけ」

 なぜ、息子は28年の短い生涯を閉じなければいけなかったのか。父は時折、大切に保管している血だらけのタンクトップとカーゴパンツを眺めた。気が付けば、5年、10年と月日(がっぴ)は流れていく。それは悪夢のような空白の時間だった。

「たしかに、X子は周囲に『旦那が亡くなった』と話していましたね。彼女は頑張り屋さんで『子供2人もいるし、働かなきゃいけないから』と一生懸命に仕事をしていました。『小さい子がいて大丈夫か』と聞いたら『今日はお父さんが見てくれているから』って」(銀座のクラブ関係者)

 夫を亡くして間もなく、X子さんは過去と決別するかのように、目まぐるしく環境を変えた。同年9月には、父が所有していた事件現場の一軒家を売却し、X子さんは父が持つ豊島区内(としまくない)の別のマンションに居を移した(きょをうつした)。彼女が生活の糧として選んだのは夜の街。銀座の高級クラブで働き始めた。

〈怒るとビビるほど怖い人〉

 08年のある日のこと。彼女は劇的な出会いを引き寄せる。客として店に来た男は、東大出身の元財務官僚。前途洋々たる自民党の衆院議員一回生だった。

 タイプの男性は〈怒るとビビるほど怖い人〉〈ダーリンには「オマエ」って呼ばれたい〉。かつてモデルとして登場した雑誌でこう語っていたX子さんにとって、眼前に現れた男性は、異世界の住人だった。05年9月の郵政選挙で初当選を果たし、将来を嘱望されていた木原氏である。

 X子さんは、ホステスとして様々な男性と出会い、成長を遂げていった。

「X子は喋りも上手くて頭の回転も早い。店ではNo.1でした。お客さんとの同伴を数多くこなし、月に200万円近く稼いでいましたね。木原さんが同期の若手議員を連れて来てくれたこともあった」(前出・クラブ関係者)

 木原氏を取り巻く環境が一変したのは、09年8月。政権交代の嵐が吹き荒れる中で、落選の憂き目を見た。

「彼女は一途で、落選中の木原さんの生活の面倒を見ていると言っていました。それほど惚れていたんでしょう」(同前)

 同店では数年間勤務し、その後、X子さんは小さなカラオケスナックに移籍する。ホステスを引退した後、14年10月頃に木原氏との間に女児(じょじ)を出産すると相前後して入籍を果たすのだ。不惑を過ぎて年貢(ねんぐ)を納めた木原氏は、その後、政権中枢への階段を順調に上った。15年10月に外務副大臣、17年8月には政調副会長兼事務局長に就任。所属する派閥領袖の岸田氏が“ポスト安倍”を狙いだすと、右腕として政権構想を取りまとめ、奔走した。だが、仕事の充実の陰で木原家に迫っていたのは、捜査の足音だった――。

「大塚署刑事課です。息子さんのことで捜査をしています。実は、不審な点が見つかりました」

 18年春、安田さんの父の携帯がけたたましく鳴った。電話口で名乗った女性刑事が、そう告げる。その瞬間、押し込めていた感情が決壊し、父の目から涙が溢れ落ちた。保管していたタンクトップとカーゴパンツを捜査当局に提出、速やかにDNA鑑定が行われた。だが、12年の歳月を経て、なぜ事件が動き始めたのか。ある捜査幹部が次のように打ち明ける。

「彼女は東京都内に約100余あるコールドケース(未解決事件、Cold Case)のうち、大塚署管内で発生した事案を掘り起こす担当で、この事件に疑念を抱いたのです。彼女が着目したのは、自殺というにはあまりに不自然なナイフへの血の付き方でした」

 さらに自戒を込めて、次のように話すのだ。

「身内の恥を晒すようですが『当時、よくこれを簡単に自殺と見立てたな』という思いです。たしかに06年頃は、今と違い、全ての事案に検視官を呼ぶこともなかった。署の判断で処理できる時代でした」

 その後、捜査は大きく動き始める。キーマンとして浮上したのは、不審死事件当時、X子さんと親密だったY氏である。

「事件当日のNシステムの捜査により、Yの自家用車が現場方向に向かっていたことが判明。18年当時、Yは覚醒剤取締法違反容疑で逮捕され、宮崎刑務所に収監中でしたが、女性刑事らが面会を重ね、粘り強く聞き取りを行ったのです」(別の捜査幹部)

「本当に悔しいです」  当初、Y氏は「現場には行っていない」「知らない」と繰り返したが、同年夏、度重なる事情聴取に対し、遂に、こう自白した。

「あのとき、X子から『殺しちゃった』と電話があったんだ。家に行ったら、種雄が血まみれで倒れていた。『どうしたんだ?』と聞いたらX子は『夫婦喧嘩になって夫が刃物を持ち出してきて、殺せるなら殺してみろと言われた。刃物を握らされたので切ってしまった』と告白された」

 この供述により、特命捜査対策室特命捜査第一係を中心に30人以上の精鋭が集められ、事件は解決に向けて大きく舵を切る。

「東大にデータを持ち込み、刺したときのナイフの角度による人体への影響などを徹底的に分析してもらったところ『自殺することは不可能ではないが、不自然である』と結論付けられ、他殺の可能性が高まったのです」(前出・捜査幹部)

 その後、内偵が進められ、18年10月、冒頭の家宅捜索が行われたのだ。自宅で任意同行を求められた際、木原氏とX子さんは生後間もない男児がいることを理由にいったん拒否。木原氏の知人である弁護士に連絡したという。

「結局、子供のことを配慮し、時間的な制約を設けるという条件で出頭することになった。しかし、X子さんは『事件には関与していません』『記憶にありません』『わかりません』ばかりで、その後、5、6回ほど聴取を重ねたが、有益な供述は得られなかった。事件当日、Yに電話を入れたことも否定した」(同前)

 時を同じくして木原氏も捜査員と複数回“面会”している。木原氏は刑事を前に「女房を信じている」などと語る一方、次のように吐き捨てたこともあった。

「06年当時に捜査してくれていたら、結婚もしなかったし、子供もいませんでしたよ。どうして、そのときにやってくれなかったんですか!」

 しかし――。18年11月。世田谷区内の団地に足を運んだ捜査員の1人は力なく頭を垂れ、安田さんの父に告げた。

「事件から外されることになりました。本当に、本当に悔しいです」

 それを聞いた安田さんの母は無念の涙を拭う。捜査員の目からも同時に、光るものが零れ落ちていた。

「この数カ月、刑事さんは『これは殺人事件です。犯人のことが許せないですか』と私に聞いてきて、私の言葉を紙に書き記したりしていた。それが途中で折れてしまった。種雄の遺骨は今もそこに置いてあるんです。女房がね、『私が死んだときに一緒に入れる』って言って。あの野郎(種雄さん)が犬死に(いぬじに)になって、そのまま終わっちゃうのか……」(父)

 それから間もなく、世田谷署に呼び出された父は捜査の縮小を告げられた。

「人数は減りますが、捜査は続けます」

 あれから4年余。木原氏はさらに偉くなった。父のもとにはその後、一度も捜査員から連絡はない。納骨する気にならず、今も仏壇の写真に手を合わせる日々が続いている。

 X子さんは現在、不審死事件の被疑者とされているわけではない。一体なぜ、捜査は幕を閉じたのか――。

 今回、小誌取材班は安田さんの不審死事件の捜査に関わった10人を超す捜査関係者を訪ね歩き、丹念に事実関係を検証した。その結果、複数の捜査員が「自民党の政治家の家族ということで捜査のハードルは上がり、より慎重になった」と口を揃えたのだ。

 前出とは別の捜査幹部は苦々しい表情でこう語った。

「Yの供述があって旦那が国会議員じゃなかったら、絶対逮捕くらいできるよな。でも、殺人の容疑で国会議員の女房を逮捕しておいて、自白も取れず、やっぱり起訴できませんでした、っていうわけにはいかねえだろ。だから、木原さんが離婚するか、議員を辞めれば着手できると思っている。木原さんはそれを分かっていて奥さんを守ったんだよ」

 別の当時の捜査員は、次のように本音を吐露する。

「(Y氏の)アゴ(供述)はあっても、それを支える物的証拠が少なかった。これで逮捕したら自民党がめちゃくちゃ大変なことになる。一般人よりもハードルが上がった」

 そして政権与党の有力議員の妻が「殺人事件の容疑者」として逮捕されれば、国家の一大事だと呻いた。

「国の政治がおかしくなっちゃう。話が大きすぎる。自民党を敵に回すよ。最終的には東京地検の意見を受けて、警察庁が『やめろ』という話。GOを出すときは当然警視総監の許可もいる。普通のその辺の国会議員だったらまだしも木原だよ、相手は……」(同前)

 他にも多くの捜査関係者が悔しさを滲ませた。「一個人としては、頑張って記事書いてよ、と言いたい」と明かす者もいた。

 一般人なら逮捕して時間をかけて取り調べれば自白したかもしれないが、有力政治家の妻となるとおいそれと手出しできない――こうした不平等があるとすれば、それ自体問題だが、実はもっと大きな問題がある。

 木原氏が自身の影響力を自覚したうえで、それを活かせる道を選択した疑いだ。

 実は、そのことを詳らかにする1本の録音データがここにある。

 小誌はこれまで3週にわたり、木原氏の愛人と隠し子に関する疑惑を報じてきた。木原氏はX子さんと交際中、銀座の別の店のホステスだったA子さんと同時に交際。X子さんとA子さんは14年に相次いで妊娠が判明し、結局、木原氏は約5カ月出産の早かったX子さんと入籍した。だが、その後も木原氏はA子さんの自宅から官邸に度々出勤する二重生活を送っている。

 そして、そのA子さんが知人に、不審死事件について木原氏から聞かされたと明かしている音声が存在するのだ(音声はこの記事の末尾で公開中)。

「なんか家宅捜索が入ったって言っていました。全部、家と実家に。『俺がいなくなったらすぐ連行される』って」

 どこにも報じられていない、知られざる事実を数年前に知人に明かしていたA子さん。こう続けている。「(X子さんが)連行された時、すぐ来たんですよ、私(のところ)に。あの人(木原)。『離婚できるよ』、『離婚届も書いたから』って」

「凄い雲の上の人に守られて」

 これには傍証もある。

「当時の二階俊博幹事長が家宅捜索などの事態を知り、木原氏に対し、『今のうちに別れておけ』と逮捕前の離縁を促したと聞いています」(前出・捜査幹部)

 だが、A子さんの音声はその後、こう続く。

「やっぱり『離婚したら、奥さんがまた連行される可能性がある』っていう話になり。(私が)『連行させればいいじゃん』って言ったら『子供もいるし、どうすんだ』みたいな話になって」

 結局離婚に踏み切ることはできなかった。

 6月下旬、小誌記者は関東近県で暮らすY氏の自宅を訪ねた。彼は19年末に宮崎刑務所を出所後、父が営む会社を継ぐため日々汗を流している。同日夜、長身の体躯に彫りの深い面立ちのY氏が帰宅する。声を掛け、名刺を渡すと「だいたい察しはつきます」と呟いた。近くの公園に移動すると、17年前の遠い記憶を手繰り寄せる。

――2006年の事件当日、YさんはX子さんに呼ばれて家に行った?

「それは……まぁ、それは事実ですね」

――そのとき、彼女は「刺してしまった」と具体的に話をしていた?

「それも含めて、もちろん刑事さんにはいろいろ話していますよ。話さないと面倒臭いことにしかならないしね。当時、凄い回数来ましたよ。2、30回くらい。1回来ると、1週間ぐらいずっと。それで1回(東京に)帰って、また向こうで(関係先を)当たって戻ってくる、みたいな」

――事件現場は見てしまっている?

「まぁ、行っているとすれば、そうです」

――壮絶な1日だった。

「うん……」

――当時、X子さんとYさんは交際関係だった?

「まぁだから、種雄が死ぬ直前ぐらいから、要するに離婚する、しないって話で。(安田さんは)もともと三茶(三軒茶屋)の不良で、いい男でしたけどね。種雄だって毎日一緒にいましたもん。もともと俺と種雄が……友達で。それの奥さんが(X子さんだった)」

――いま彼女は官房副長官の妻という立場です。

「うん。ですよね。凄い雲の上の人に守られていて」

――最後にX子さんに会ったのは?

「本当、すげー前ですよ。種雄が死んで、1回目の懲役に入るか、入らないかっていう、そんなときですね。結局、男と女だから気持ちが離れる、離れないって分かれば、そこを追ってもしょうがないから。もう全然連絡取ってないです」

――Yさんが宮崎刑務所で刑事に正直に話をしようと思ったのはなぜですか。

「正直、ああいう閉鎖的な中にいて、毎日朝から夕方まで来られちゃうとやっぱり……。当然、NシステムとかGPSとか、いろいろなアレで俺がどこにいたっていうのは出ちゃうので。結構当たりをつけて来るので。(事件当日)その時間に、俺が自分の車を運転しているっていうのは明白に出ちゃう」

――警察はX子さんを重要参考人と見ている?

「そうじゃなきゃ、30回も40回も宮崎まで来ないですよね。それなりの経費かかって4、5人で来るわけだから。ただ、結局僕の話(供述)があったとしても、やっぱり落ちない(自供しない)と。結局そこじゃないですか。守られている砦が強すぎるから。例えば、嘘発見器みたいなものも、任意(捜査)ということで(X子さんは)拒否して。俺からしたら『シロだったら拒否んなくてもいいじゃん』っていうね」

 Y氏は「俺もさ、年内に親父から会社を継がなくちゃいけないから。あの事件のことは関わらない方がいいっていうのがあります」と語ると、険しい表情で口を噤むのだった。

「刑事告訴を行います」

 当事者である木原夫妻はどう答えるのか。7月2日夕刻、家族4人で自宅を出た木原氏は赤と黒のツートンカラーのキャリーケースを転がし、タクシーで東京駅に急ぐ。翌日午後、木原氏は公明党愛知県本部が主催する政経懇話会に菅義偉前首相らと共に出席するため、新幹線で名古屋駅に向かったのだ。

――X子さんでいらっしゃいますか。

 一瞬立ち止まり、露骨に(ろこつに)怪訝な(けげんな)表情を浮かべる。

――「週刊文春」です。

 目を見開き、すぐさま逸らすと、猛然と去っていく。

――安田種雄さんが亡くなられた事件について取材していまして。

「……」

――06年の事件ですが。

「……」

――ご自宅にもご実家にも家宅捜索が入った?

「……」

 何を聞いても終始無言。名刺や取材の趣旨を記した手紙を渡そうとしたが、彼女が受け取ることはなかった。同日夕方、X子さんの実家を訪ねると、父がインターホン越しに答えた。

――取材で、X子さんに関することなのですが。

「あぁ。それ、答えられない、そんなのはぁ」

――安田種雄さんのことについて聞きたい。

「あぁ。だいぶ前の話で、もう忘れました」

――18年の再捜査で、ここも家宅捜索された?

「……そんな関係ないでしょう。関係ないし、そんなこと、言う必要もないし」

――当時、お父さんは現役の警察官でいらした。

「どうしたの、それが? 関係ないよ!」

 木原氏には何度か電話をかけたが出なかった。事務所に一連の事実関係について質問状を送ると、代理人弁護士より次のような文書回答が届いた。

「事実無根(じじつむこん)です。捜査当局の公式の確認を取るよう求めます。名誉毀損行為が強行された場合には、直ちに当該行為のすべての実行者及び加担者につき、刑事告訴を行います」

 愛人A子さんにも音声で語っている事実関係について尋ねたが、代理人弁護士から「事実無根です」との回答が届いた。

 二階氏にも木原氏に離婚を勧めたか否かなどを尋ねたが「記憶にないねえ。古い話でしょう」と答えた。

 一連の経緯と愛人の音声から浮上するのは、木原誠二という政治家が自らの政治権力にどう向き合っているのか、に関する疑問だ。影の総理と言われるほどの権力を有する木原氏が、その力を自覚し、X子さんに捜査が及ばないように「妻」の地位に留めている――もしこれが事実なら、“法の下の不平等”との謗りは免れまい(そしりはまぬがれまい、非難されて当然である)。