「週刊文春」編集部  2023/07/05

ストーカー店長に奪われた「元子役女子大生」の夢と両親の後悔

「痛い! ごめんなさい」

「あんまり騒ぐと通報されるだろ!」

 木造2階建てアパートに、尋常ならざる男女の声が響き渡った。昨年12月12日、深夜2時過ぎのことだ。この時は住民の通報により警察官が駆けつけ、事態は収まったかのように思われた。だが半年後……。

 6月29日の午前10時15分頃、横浜市鶴見区(つるみく)のマンションで、大学1年の冨永紗菜(とみなが さな)さん(18)が刺殺された。約10分後、神奈川県警は、鶴見署に出頭した自称会社員、伊藤龍稀(いとう はるき)容疑者(22)を逮捕した。

「2人は2年ほど前から交際していましたが、冨永さんは伊藤のDVに悩まされており、1週間前に別れたばかりだった。事件当日の朝、包丁を隠し持った伊藤が合鍵(あいかぎ)で冨永さん宅に侵入。家族に追い返された伊藤は、冨永さんが出かけるのを待ち伏せし、マンションの駐車場で犯行に及んだ。伊藤は取り調べに『よりを戻したかったが拒まれた』と供述しています」(社会部記者)

 警察には過去4回にわたり、交際をめぐるトラブルの相談があったという。

「冨永さんからは『喧嘩のたびに手を上げられ、何度も待ち伏せされた』と聞きました」(友人)

 伊藤は、中学1年までを栃木県宇都宮市で過ごした。スポーツが得意な少年で、年少者向けの競技「タグラグビー」の地元チームの一員として、全国優勝をしたこともあったという。

「足が速く、体育祭のリレーのアンカーもやっていた。おふざけキャラ(playfulnes character)でしたが、皆の話をよく聞くタイプで、男女ともに友達が多かった。マジックが得意で、休み時間にトランプを使った手品(てじな)を披露していた。数カ月でしたが、同級生と付きあっていたことも」(同級生)

 だが、あるサッカー部員の保護者は、こんな懸念を抱いていた。

職を転々として蒲田で店長に

「伊藤くんは母子(ははこ)家庭でしたが、お母さんは部活の保護者会にも一度も顔を出さず、誰も会ったことがなかったんです。私も他の保護者も家庭環境を心配して『困ったことがあったら、いつでも頼ってきてね』と声をかけていました」

 進学した高校を中退して以降、伊藤の針路(しんろ)は狂い始める。再婚した母親が、他のきょうだいを連れて山形県に転居したのだ。

 もともとは「お母さん子」だったという伊藤。1人残され、職を転々とした。そしてたどり着いたのが、東京・蒲田(かまだ)の飲食店だった。元従業員が明かす。

「伊藤は20歳そこそこの若さで店長を任された。そこへ友人の紹介で働き始めたのが、冨永さんだったのです。大人びた美人の冨永さんに、伊藤が一目惚れ(ひとめぼれ)。住まいも近所だったので、しょっちゅう会いに行くようになった。そうして交際が始まったのですが、“店の風紀(ふうき)を乱す(みだす)から”という理由で、2人とも店を辞めていきました」

 冨永さんは、会社員の父、ピアノ講師の母のもとに生まれた。彼女が誕生した翌年、一家は事件現場となった7階建てマンションに転居。管理人を務めていた男性が振り返る。

「お母さんは引越しの時、丁寧に管理人室に挨拶に来てくれた。幼いころの紗菜ちゃんは、よく廊下でおままごとをしていました」

 地元の小学校に通っていた頃の知人は言う。

「小柄で、すでに端整な顔だちでした。友達も多く、よくカラオケに行っていた。歌やダンスも習っていたそうです」

 卒業アルバムの、座右の銘(ざゆうのめい)や好きな言葉を書く欄には「友達」とある。そして、将来の夢としてこう綴られている。

〈将来の夢は二つあります。一つ目はあこがれのイーガールズ(E-girls)に入ること。二つ目はメイクアップアーティスト(Make-up artist)になることです〉

〈ダンスが好きで(略)練習するのが楽しいのでNYに留学してもっと上手になってイーガールズに入れたらいいな〉

 EXILEの妹分として活躍していたE-girls(20年に解散)。そこに参加する夢に向かい、小6の頃には芸能事務所に所属。子役として舞台にも出演、元SPEEDの上原多香子((うえはら たかこ、1983年1月14日 - )とも共演した。そんな愛娘を、両親も全力で後押ししていた。

「娘が舞台に出演するたび、両親は嬉しそうに公演情報をフェイスブックにアップした。彼女が14歳の時には“子役”というクレジット(credit)が外れ、お母さんは『記念すべき第一歩』と喜びを露わにしていました」(同前)

 中高一貫校に進学していた冨永さんが伊藤と出会ったのは、約2年前、高校2年時のことだ。やがて交際を始めた2人だが、別の知人は言う。

「紗菜はインスタグラムの『ストーリーズ』機能に、彼氏の写真をアップしたり消したりを繰り返していました。付き合ったり別れたり、という感じだったんでしょうね」

 昨年6月、冨永さんが初めて警察に通報している。伊藤宅のアパートに2人でいた時に「SNSに俺の写真を上げろ」と要求されて口論になり、壁を蹴られたり、腕をつねられたりした。家を飛び出した冨永さんが「荷物を取り返したい」と警察に連絡。「駆けつけた警察官が20分ほどドアを叩き続けても、伊藤は家から出てこなかった」(アパートの住民)という。

「どうなっても知らないからな」

 この時期に伊藤が開設したインスタグラムのアカウントがある。IDには「37」の数字が繰り返されており、「紗菜」を想起させる。アイコンの写真は、おどけた(a clownish)表情で写る冨永さんとのツーショットだ。プロフィール欄には、こんな“哀願”が記されている。

〈まだ会えませんか? 次は必ず幸せにします〉

 翌月、連絡をしてきた警察に、冨永さんは告げた。

「仲直りしたので、大丈夫です」

 今年3月、冨永さんは転入していた通信制高校を卒業し、横浜市内の私立大学に入学した。しかし、6月22日には、またも暴力を振るわれたことで冨永さんが警察に通報。彼女の父も警察に行き、事情説明をしている。父は何かあれば自分が間に入る旨を記した上申書(じょうしんしょ)を書いた。

「彼女はこれを機に本気で別れる決意をし、伊藤に伝えたようです。そのため伊藤からは『どうなっても知らないからな』などと脅迫まがいのメッセージが送られてきた」(前出・知人)

 別れた数日後、冨永さんは友人にこう漏らした。

「元カレがメンヘラでしんどい。別れてから性格がおかしくなった……」

 見捨てられずにいた“ストーカー店長”ともようやく別れ、新生活を始めようとした矢先の凶行――。

 事件翌日に遺族が公表したコメントには、冨永さんの両親の後悔が滲んだ。

〈1番許せないのは私たち親がまぬけだったこと さなを守れなかった(略)家に入ってきたのがわかった時に躊躇なくすぐに通報すべきだった〉

〈引越ししていたら ボディガードをつけていたら 危険な状況なことをもっとしっかりと理解していたら〉

 最後の通報の際、山形県在住の伊藤の母親は、見守りを求めて連絡をしてきた警察からの電話に、出ることはなかったという。