佐藤 誠 2023/10/16
木原事件(2)露木長官|ホンボシ 木原事件「伝説の取調官」捜査秘録 第2回
露木 康浩(つゆき やすひろ、1963年〈昭和38年〉8月8日[1] - )は、日本の警察官僚。第30代警察庁長官。
7月13日、露木康浩長官は記者会見で、木原氏の妻が元夫(もとおっと)の殺人事件について警察庁から2018年に聴取されていたという報道について、「捜査等の結果、証拠上(しょうこじょう)、事件性が認められない旨を明らかにしている」と述べた。安田種雄(やすだ たねお)さんの不審死は「自殺」であったと警察庁長官自らが語り、今後の再捜査は行わないと語ったわけだ。
俺への取材内容が掲載された「週刊文春」(8月3日号)は7月27日に発売された。
記事の中で俺は「これだけ事実を提示しても、露木長官は『事件性は認められない』っていうのか。俺が『捜査のイロハ』を教えてやろうか」と言った。
記事が出た直後、この発言に対して露木長官が「俺が佐藤に捜査のイロハを教えてやる!」と周囲に語ったとその後の「週刊文春」で報じられていた。
俺はこの言葉を聞いたとき、頭に血が上るような思いだったよ。
「何にも知らねえ癖に何を言っているんだ」
露木長官には殺人事件の捜査経験はない。一方の俺は捜査一課で100件以上の殺人事件の捜査に携わり、一課の取調官として仕事をしてきたという経験がある。露木長官にはそっくりそのまま「捜査のイロハを教えてやる」という言葉を投げ返してやりたいと感じた。
俺は「週刊文春」の記者にこう言った。
「事件性の判断すらできないのか。はっきり言うが、これは殺人事件だよ。当時から我々はホシを挙げるために全力で捜査に当たってきた。ところが、志半ばで中断させられたんだよ。それなのに、長官は『事件性が認められない』と事案自体を“なかったこと”にしている。自殺で片付けるのであれば、自殺だっていう証拠をもってこいよ。(『週刊文春』の)記事では、捜査員が遺族に『無念を晴らす』と言っていたが、俺だって同じ気持ちだよ」
「あのとき捜査に関わった30人以上のメンバーは誰しも、捜査を全うできなかったことで今でも悔しい思いをしている。『週刊文春』の記事を読めば、現役の奴らが並々ならぬ(extraordinary )覚悟で証言しているのがよく分かるよ」
***
では、ここでいう「捜査のイロハ」とは何か。
俺が露木長官の言葉を聞いたとき、真っ先に思ったのは、
「これは立件票(りっけんひょう)交付事件だよ」
と、いうことだった。
木原誠二前官房副長官
立件票とは事件性が疑われる事案に際して検察が交付するもので、必ず番号が付記される。立件票が交付されれば、警察は捜査を尽くし、事件性の有無を明記した総合捜査報告書を検察に送致するのだ。警察における「立件票交付事件」においては、その捜査報告書を検察が精査して「起訴」や「不起訴」を決定する。つまり、立件票交付事件で警察の側は事件判断する立場にはないんだ。
そもそも「木原事件」では、露木長官の言うような「自殺」の証拠は存在しない。
例えば、2006年の4月に事件が起こり、種雄さんの遺体の司法解剖が行われている。種雄さんの遺体の「死体検案調書」を俺は見ているが、「不詳の死」という項目に丸が付けられていた。
事件性がない場合と事件性がある場合とでは、この解剖の段取りが全く異なる。検視官が「自殺」と判断した場合、「ああ、これはいいよ。事件性はないから行政だ」と行政解剖で死因を調べることになる。
一方で「事件性」がある場合は司法解剖が行われる。つまり、「木原事件」では検視官が司法解剖の必要性を認め、この段階で検察官が重要事件として「鑑定処分許可状」を取る。つまり、2006年の4月11日の時点で、この事件はすでに「事件性がある」と判断されたことは間違いない。
後で俺が記者会見を開いたとき、「俺は(証拠を)全部見たけど自殺の証拠はないよ」と言ったのは、この過程の書類をすべて確認していたからだった。もしこの事件が2006年の時点で「自殺」と判断されたのだとしたら、死体検案調書にもそう書いてあるはずだからである。
だが、死体検案調書に書かれていた死因は「不詳」だった。
これは「木原事件」に「事件性」があることの重要なプロセスなので、ここまでの流れを整理しておきたい。
種雄さんが不審死を遂げたのは2006年4月9日の22時頃。翌日の4時頃に大塚署への通報があり事件が発覚する。そして、4月11日に事件は検察官の指揮下に入り、検察官が裁判所に鑑定処分許可状を請求。発布の後にそれが監察医務院に示され、種雄さんの解剖が行われた。
それと同時に検察官が大塚署に対して交付したのが立件票だ。
立件票は事件の捜査にとって極めて重要なもので、これが交付されたからにはたとえ証拠が乏しくても、警察署は捜査を尽くさなければならない。そして、捜査の末に警察側としての結論を出すことはできても、「殺人」や「自殺」を判断できるのは立件票を交付した検察官だけだ。あくまでも、「殺人罪」などを起訴、あるいは不起訴や起訴猶予に処するといった判断が行えるのは彼らだけなんだ。露木長官の発言は、それこそ「事件のイロハ」であるこの事実を無視したものだといえる。
また、2018年の再捜査の際には、捜査一課殺人犯捜査第一係(サツイチ)の「証拠班」の1人が、関係先を捜査するための「捜索差押許可状」の申請に必要な「一件書類」を裁判所に持ち込んでいる。供述調書、実況見分調書、そして数十枚の写真などで、なかでも重要なのはそのうちの法医学者の鑑定書と意見書だ。
証拠班が着目したのは、種雄さんの遺体についたナイフの傷だ。種雄さんの死因は失血死で、遺体にはナイフを頭上から喉元に向かって刺したとみられる傷があった。ナイフは仰向けに倒れていた種雄さんの右膝のあたりに置かれていた。 現場に落ちていたものと似たタイプのナイフ
つまり、「自殺」とするならば、種雄さんが自らナイフを喉元に突き立てたうえで、それを自ら引き抜き、自身の足元に置く必要がある、ということになる。
当時、証拠班は豚の肉を用意して、ナイフで刺した場合の血の付き方などを細かく分析している。さらに、法医学者にも検証を依頼した結果、「事件の可能性が高い」という結論を得て鑑定書を書いてもらっている。
この「一件書類」を裁判官が半日がかりで精査し、「事件性がある」という相当な理由が認められたため、捜索差押許可状が発付された。つまり、法医学者も裁判所も「他殺の可能性が高い」と判断していたわけだ。
俺はこうした経緯の後に唐突に捜査の終了を告げられた「木原事件」について、5年前の様々な記憶が露木長官の言葉を聞いて怒りとともに胸に湧き上がってくるのを感じた。遺族が不憫でならなかったし、30人以上の捜査官たちのためにも腹を括らなければならないと思った。
捜査の過程で俺は参考人として木原氏の妻のX子を10回は聴取し、ガサ入れもした。木原氏本人から怒声を浴びせかけられたこともある。立件票交付事件は繰り返すが、警察の側が勝手に結論を出せない重いものだ。警察が捜査を尽くした後、統合捜査報告書などの疎明書類を検察に送致し、検察が「事件性があると思料される」「事件性がないと思料される」と判断する。それが立件票交付事件のルールなんだ。
だから、露木長官の「事件性はなく、適正に捜査し、自殺と考え矛盾はない」という発表は、捜査のイロハを無視した発言だ。木原事件を「自殺」と勝手に判断し、「事件性はない」と語る権利は露木長官にはない。事件は「立件票交付事件」であり、「検察官認知事件」であるから、彼にはそもそも最終判断をする権限がない。「事件性なし」であれば、その証拠とともに事件を検察庁に送致し、検察官がその判断をしなければならないからだ。
ましてや個別の案件について最終判断として「自殺」と公表することはあり得ない。そもそも自殺などの犯罪性のない案件は、検察庁に送致して終了となるだけで、検察庁も一切公表できない種類のものだ。よって、警察庁長官が「自殺」という結論を発表したことは、それ自体が「捜査上の秘密」を漏らしたことにもなるだろう。
つまり警察庁長官という立場から本来は権限のない「事件性」を判断した露木長官の言葉は、遺族をことさらに傷つけ、2018年に捜査に力を尽くしていた捜査一課の警察官をバカにした言葉だと俺は思ったんだよ。
(続く)
佐藤誠(さとう・まこと) 警視庁捜査一課殺人犯捜査第一係、通称「サツイチ」の元警部補。1983年、警視庁に入庁。2004年に捜査一課に配属された。数多くの殺人犯と対峙し、“伝説の落とし屋”との異名をとる。「木原事件」では木原誠二氏の妻・X子さんの取り調べを担当した。2022年に退官。