佐藤 誠(さとう まこと) 2023/10/09

佐藤誠(さとう・まこと) 警視庁捜査一課殺人犯捜査第一係、通称「サツイチ」の元警部補。1983年、警視庁に入庁。2004年に捜査一課に配属された。数多くの殺人犯と対峙し、“伝説の落とし屋”との異名をとる。「木原事件」では木原誠二氏の妻・X子さんの取り調べを担当した。2022年に退官。

木原事件(1)リーク|ホンボシ 木原事件「伝説の取調官」捜査秘録 第1回

佐藤誠元警部補は警視庁捜査一課殺人犯捜査第一係(通称:サツイチ)に所属していた取調官で、階級は警部補でした。

これまでに100件を超える数々の殺人事件を担当してきたベテラン警部さんで、”伝説の落とし屋”の異名まで付けられていたかなり凄腕の方だったみたいですね。

警部補になるまでは、警察学校を卒業して、巡査→巡査部長→警部補とキャリアが上げていく必要があります。警部は警察官全体の7%ほどしかいないと言われているので、相当


優秀な方だったのでしょうね。

「週刊文春」の記者から初めて連絡を受けたのは、2023年の7月13日のことだった。その電話は直接、俺のところにきたわけではなかった。自宅の隣に住んでいた知人の家に記者が来て、名刺を置いていった、と連絡があってね。俺は文春にあの話をするべきかどうか、しばらく考えていた。

 後に「木原事件」と呼ばれることになる記事が、同誌に掲載されたのはその1週間ほど前のことだった。当時、すでに警察官を退職して1年が過ぎていた俺は、ときおり市役所の人材センターでアルバイトのような仕事をしていた。お金には困っていないから、旅行をしたりパチンコに行ったり、しばらくのんびりしようという生活を送っていたんだ。

そんななかで、刑事として取調官をしていた頃の記憶も、だんだんと過去のものになろうとしていた。ところが、文春に初めて出た「木原事件」の記事は、そんな自分にとっても驚くべきものだった。というのも、記事は警察内部の誰かがリークをしなければ、決して書くことのできないものだったからだ。

 記事は「岸田最側近 木原副長官衝撃音声 『俺がいないと妻がすぐ連行される』」と見出しを打ち、2006年に起きた一つの殺人事件と、一度は「自殺」と断定されたこの事件が、12年後に再捜査された際の詳細が報じられていた。

〈伊勢国(いせくに)の玄関口(げんかんくち)として栄えた愛知県名古屋市のベッドタウン。2018年10月9日、澄んだ空を射抜くように複数台のバンが商業施設に滑り込んだ。その日の最高気温は27度。夏の残り香が漂う中、後部座席を降りた警視庁捜査一課の捜査員らは、隣接する分譲マンション(ぶんじょう、a condominium)の4階を目指す。築12年、約80平米(へいべい)の部屋には、老夫婦がひっそりと暮らしている。捜査員の1人が手にしていたのは捜索差押許可状(そうさくさしおさえきょかじょう)。そこには「殺人 被疑事件」と記されてあった。

「この日、家宅捜索が行われたのは、2006年4月10日未明に覚知した(各地した)不審死事件に関するものだ。本件は長らく未解決の扱いだったが、発生から12年が経過した18年春に、未解決事件を担当する捜査一課特命捜査対策室特命捜査第一係が中心となって再捜査に着手していた」(捜査関係者)〉

 そう始まる記事を、俺は眼を皿のようにして読むことになった。なぜなら、自分自身がその再捜査で参考人の取り調べを行い、捜査にも深くかかわっていたからだった。

 事件の内容は次のようなものだ。

 ――2006年4月10日、都内の閑静な(かんせいな)住宅街で一つの「事件」が起こった。その日、不審死を遂げたのは風俗店に勤務する安田種雄さんで、通報したのは貸していたハイエースを深夜に返してもらおうとその家を訪れた父親だった。

 父親が種雄さんの家に来たとき、玄関のドアは開いたままになっていた。電気の消えた居間には種雄さんの遺体があり、寝ていると思った父親は「おい、この野郎。こんなところで寝たら風邪ひくぞ」と体を起こそうとした。ところが、足の裏に冷たいものが伝ったのを感じ、照明のスイッチを点けると部屋は血の海で、タンクトップを赤く染めた種雄さんの遺体があった。通報時刻は10日の午前3時59分。管轄(かんか)である大塚署(おおづかしょ)が駆けつける。その際、種雄さんの妻であるX子は子供2人と2階の奥の寝室で寝ていたと言い、「私が寝ている間に、隣の部屋で夫が死んでいました」と供述する。警察の当初の見立ては覚醒剤(かくせいざい)乱用による自殺ではないかというもので、その理由は2階のテーブルと作業台の上に覚醒剤が入ったビニール袋(びにーるぶくろ)が発見されたからだった……。

***

 ――俺はそうした経緯の描かれた「週刊文春」の記事を読みながら、「異様な終わり方」をしたこの事件の様々な場面が胸に甦ってくる(よみがえってくる)のを感じた。捜査はX子の聴取が行われていた2018年10月、国会が始まるタイミングで消え入るように終わった。俺は国会が閉会すれば再び捜査が開始されると思っていたが、結局、捜査が本格的に再開されることはなかった。

 それにしても――と俺は思った。

「週刊文春」の記事はそうした経緯をたどった捜査を、あまりに詳細に伝えていた。何しろ捜査を行っていた俺ですら5年が経ち、すでに記憶があやふやな日付が、記事のなかでははっきりと正確に断定されている。

 そんなふうに日付を断定するためには、報告書や捜査官のメモなどの裏付けがなければ絶対に書けない。

 俺が知人から伝えられていた文春の記者に電話をしようと思ったのは、最初は「誰が喋っているんだろう」という好奇心からだったといえる。

俺の見立て(みたて)では、木原氏の妻が事件の参考人であったことから、おそらく警視庁の管理官が自民党の幹部に説明をしに行ったところから資料が漏れたのではないか、というものだった。政治家が絡んでいる案件では、「捜査を進めていい」という許可を取ることがままあるからだ。

 その際に交換条件として、捜査の報告が行われるだろう。よって、リークしたのは自民党の幹部か管理官なのではないか……。

***

 事件を報じた「週刊文春」の記事を俺に教えてくれたのは、捜査一課時代の上司だったK係長だった。電話をかけてきたK係長は言った。

「文春読んだ?」

「いえ、読んでいません。何ですか?」

「あの事件のことが載っている」

 電話を切ると、記事を取り寄せて読んだ。

「読みましたよ。あれ、リークしたのはKさんじゃないんですか?」

「違う。でも、何だか俺が疑われちゃっているみたいでさ」

 警察内部でも文春の記事は、すでにそれだけ話題になっていたということだ。

 自宅の隣に住んでいた知人から「文春の記者が来た」と連絡があったのは、それからしばらく経った頃だ。

 記者が訪れたのは、昔の住所だ。今はもう住んでいない。その時点で、文春の記者は俺の新たな住所を突き止めてはいなかった。だから、記者が来たと伝えてくれた知人に連絡をして、名刺に記されていた記者の携帯電話に連絡をした。Kさんのこともあったから、記事の情報を誰がリークをしたのかを確かめたかったんだ。

 俺のところにきた文春の記者に俺は言った。

「俺が知っていることの中には、言えることと言えないことがあるよ」

「分かりました。佐藤さんの知っていることを教えて欲しい」

「それは分かった。俺も少しは喋ってもいいよ。ただ、まずはこの記事についてリークしたのが誰かを教えて欲しい」

 だが、そこは記者だけあって、笑うばかりで口は割らなかったよ。

 そんななか、行われたのが露木警察庁(つゆきけいさつちょう)長官の記者会見だった。

(続く)