アーカイブ発掘 「文藝春秋」編集部 2023/06/24
小林旭、橋幸夫、付き人が語った「美空ひばり〈お嬢〉秘話」
1989年6月24日に死去した美空ひばり。“歌謡界の女王”として燦々と輝くスターだったが、情に厚い彼女の素顔が文藝春秋の誌上では語られてきた。ほかでは読めない貴重な証言を紹介する。
美空ひばり邸の三婆
息子と付き人が「お嬢」秘話を公開
加藤和也×関口範子×辻村あさ子
「ずっと我が家に住み込みで、8畳の部屋で川の字になって寝ていました。お袋が亡くなってからも、この青葉台(あおばだい)の家に住み続けている」。最も身近に接してきた3人による、今だから語れるエピソード。
青葉台の家に住み続けて50年以上
加藤 今年は、美空ひばりの生誕85周年。亡くなってから33年になります。お袋は明るい人でしたから、湿っぽくならない話題で、付き人だったお二人と一緒に思い出を語りたいと思います。
関口範子さんには、お袋の付き人を28年間も務めてもらいました。
辻村あさ子さんは、自宅で掃除や料理の担当。僕は幼稚園のときから、毎日お弁当を作ってもらったね。
もう1人の付き人だった齋藤千恵子さんは、病院でリハビリ中なので、今日は不在です。
お袋は、おのり、あさ子、ちーちゃんと呼んでました。3人ともずっと我が家に住み込みで、8畳の部屋で川の字になって寝ていました。お袋が亡くなってからも、この青葉台の家に住み続けている。よく驚かれるけど、もう50年以上経つね。
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加藤 和也(かとう かずや、1971年〈昭和46年〉8月10日[1] - )は、日本の実業家・音楽プロデューサー・芸能プロモーター。美空ひばりの養子(長男)。株式会社ひばりプロダクション、藤和エンタープライズ代表取締役社長。
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関口範子(せきぐち のりこ)昭和15年2月、東京都荒川区三ノ輪生まれ。昭和36年より住み込みの付き人となる。現在も美空ひばりの自宅に住み、「東京目黒美空ひばり記念館」の案内係も務めている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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辻村あさこ(つじむら あさこ)
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斉藤 千恵子(さいとう ちえこ、11月26日[1] - )は、日本の女性声優。青森県出身[1]。オフィスPAC所属。身長160cm。青森県平川市に所在する保育園の園長も務めている
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三婆(読み)サンババア
- 歌舞伎で、時代物の老母役のうち、最も至難とされる三役。
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美空 ひばり(みそら ひばり、1937年〈昭和12年〉5月29日 - 1989年〈平成元年〉6月24日)は、日本の歌手・女優・実業家。神奈川県横浜市磯子区滝頭出身。横浜市立滝頭小学校、精華学園女子中学校・高等学校(現・東海大学付属市原望洋高等学校)卒業。
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小林 旭(こばやし あきら、1938年〈昭和13年〉11月3日[注釈 1] - )は、日本の俳優、歌手である。本名は同じ。身長180cm、体重98kg、血液型AB型[2]。特技は柔道(五段)、ゴルフ[2]。愛称は「マイトガイ」。痴呆症(ちほうしょ)という噂があります
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橋 幸夫(はし ゆきお、(本名:橋 幸男(読み同じ)、1943年〈昭和18年〉5月3日 - )は、日本の歌手、俳優、作曲家、プロデューサー。