2024年4月6日 5時00分
たて書きよこ書き
本史の年表を思い浮かべた時、縄文時代はどちらの側に来るだろう。右それとも左? 古来、日本では時間は右から左へ流れるものだった。絵巻((えかん)や屏風絵(びょうぶえ)でわかる。山に桜が咲いて、葉が茂り(しげり)、枯れ、雪が積もる。四季は、左方向へ移っていく▼それは日本語がずっと縦書き(たてがき)で、行が左へ変わるからだろう、と日本語学者の屋名池誠(やないけ まこと)さんが説いている。人の意識や思考は、文字の配列と分かち難く(わかちがたく)繋がって(つながって)いる▼横書きが登場したのは幕末だった。新聞業界でも大正時代までには、横書きの見出しなどが登場した。だが原稿用紙からワープロ、パソコンと道具立て(どうぐだて)は変わっても、記者はずっと原稿を縦に書いてきた▼ああ、ついに。紙面の体裁は変わっていないが、春から会社のシステムが一新されて、小欄の原稿も横書きで入力することになった。デジタル時代にあわせて、とのことである。ネット上の大半で、文字は横に連なる(つらなる)。漢字の生みの親、中国の新聞紙面さえそうだという。もはや時代の趨勢(すうせい)かとも思う▼とは言え、言葉をつづるにあたって、タテヨコの違いは重大だ。たたずまいが異なる。例えば宮沢賢治(みやさわ けんじ)。「ああかがやきの四月の底を/はぎしり燃えてゆききする/おれはひとりの修羅(しゅら)なのだ」(春と修羅)。縦に書くのでなくて、この深い苦悩は刻めた(きざめた)だろうか▼結局この原稿も、別に縦書きしたものをシステムに貼り付けている。縦のものを横にもしない、とは無精者(ぶしょうもの)を指す。だが、ことはそう簡単ではない。