2024年10月18日 5時00分
おしゃべりは声を出さずに
廃校となって久しい小学校の木造校舎の一角に、そのカフェはある。二宮金次郎(にみや きんじろう)の像を横目に大きな玄関を入り、くつを脱いで、スリッパにはき替える。子どもたちがいまにも走ってきそうな長い廊下を進むと、店主の夏目文絵(なつめ ふみえ)さん(46)が笑顔(えがお)で迎えてくれた▼ここは三重県いなべ市の「桐林館(とうりんかん)喫茶室(きっさしつ)」。声を出しての会話ができない筆談カフェだ。「聞こえる人には非日常ですが、聾(ろう)の人にはこれが日常です」▼夏目さんは高校時代に手話サークルに入り、聴覚障害者たちと知り合った。「障害と言われるけど、外国の方というか、異文化や異言語の世界に近いと思いました」。そんな気づきの面白さを、多くの人に知ってほしいという▼職員室だった部屋でコーヒーを飲む。静かだが、無音(むおん)ではない。風が木々をゆらし、窓ガラスを震わす。女性客が一人で編み物(あみもの)をしていた。筆談で話しかけると「競馬に関心があって、好きな馬の勝負服の色でスカーフを編んで(あんで)います」。丁寧な文字で教えてくれた▼直筆(ちょくひつ)には書き手の感情がにじむ。返事を待つのも心地よく、なぜか懐かしい気持ちになる。店に来た人の感想ノートを見せてもらった。「話さないと笑顔が増えた」「紙の上のコミュニケーションはなにやらとにかく『あたたかい』のだ」▼ゴーンと柱時計(はしらどけい)が時を打つ。「何かを発見してもらって、そんな感想をもらったときはうれしいです」。夏目さんは言った。外に出ると、青い空なのに、パラパラと、お天気雨(おてんきあめ)が降っていた。
お天気雨(おてんきあめ)は、晴れているのに突然降る雨のことを指します。特に、青空が広がっている中で、局所的に降る小雨のことが多いです。