2024年10月8日 5時00分

空飛ぶクルマがなくても

 大正9年というから1920年、いまから104年前のことだ。『日本及(および)日本人』という雑誌が「百年後の日本」と題した特集をしている。当時の知識人にアンケートをしたもので、図書館で探して読んでみると、何とも興味深い▼例えば、「芝居も寄席も居ながらにして観(み)たり聴いたり」できる電話が発明されるという。なるほど、まさに予想的中である。「太陽の光線から一切(いっさい)の動力と燃料とを採りて」は微妙か。「伝染病は絶無(ぜつむ)」や「平均年齢125歳」は無理だった。苦笑したのは「皆(み)んなが浮かれ出す世になる」▼さて、いまの私たちなら、どんな100年後を思い描くか。大阪・関西万博(ばんぱく)の開幕まで、あと半年ほど。本来ならば、理想の未来を語る格好の舞台となるはずなのに、どうも盛り上がりに欠けるようだ▼「空飛ぶ(そらとぶ)クルマ」の商用運航の断念も先日、発表された。残念な方もいるだろうが、これが万博の目玉とされたこと自体、私はピンとこない。もはや20世紀の時代ではない。科学技術の発展が、すべてバラ色に見えるわけもない▼「月の石」に代わり「火星の石」を展示する発想も、70年万博のノスタルジーに染まりすぎではないか。公費負担は膨張し、会場建設は遅れ、責任は誰もとらない。いったい何のため、誰のための万博なのだろう▼大正の未来予想に話を戻せば、「人間が之(これ)から先、だんだん幸福になって行くか」は「疑問」だというのもあった。卓見(たっけん)だと首肯(しゅこう)しつつ、どうにも寂しい気持ちになる。