2024年10月5日 5時00分
避難所の風景
災害の発生直後から冷暖房(れいだんぼう)つきのテントが並び、温かい食事が出る。トイレやシャワーも完備。同じ災害大国なのに、日本にない光景がイタリアの被災地にはある。手本のように語られることが多いが、ここに至るまでには多くの曲折(きょくせつ)があった▼イタリアの防災(ぼうさい)関係者が「あの失敗を忘れるな」と話すのが約1千人が亡くなった1976年のフリウリ地方地震だ。私はその7年後、震災復興策の一環でできた高校で学ぶ機会を得た。当時の混乱ぶりは、地元で語り草(かたりぐさ、topic)になっていた▼寸断(すんだん)された道路での誘導で、警察と軍が別々の方向を指した。海外から届いた支援物資(ぶっし)が配給されない――。原因の多くは、司令塔の不在と縦割り(たてわり)行政だった。数年後に南部で起きた地震でも混乱から犠牲者が増え、仕組みづくりの必要性が叫ばれる(さけばられる)ようになった▼そうして82年に発足した首相府直轄(ちょっかつ)の組織(そしき)が、現在の市民保護局だ。40年余で法改正を重ね、約700人の職員を擁する司令塔に育った。発生直後から消防、軍、警察、研究機関、ボランティアらを束ねて(たばねて)調整にあたる▼さて、日本はどうか。きのうの所信表明で、石破首相は避難所の環境を改善し、災害関連死をなくすと決意を述べた。具体例で挙げたキッチンカーはイタリアが念頭にあったか。大切なのは、有能な司令塔をつくることだ。役所ができても縦割りでは意味がない▼元日に地震で被災した能登半島(のとはんとう)が豪雨に襲われてからきょうで2週間。今も避難所生活で耐える人々がいる。