2024年10月31日 5時00分

司法と社会の対話

 先日あった最高裁裁判官の国民審査には驚いた。6人のうち4人で、罷免(ひめん)を求める×印の割合が10%を超えたからだ。それだけのことで、と笑うなかれ。この20年で57人が審査を受けたが、ふた桁になったのは一人もいなかった。異例の結果と言っていい▼最も×印が多かったのは今崎幸彦(いまさき ゆきひこ)長官。犯罪被害者の遺族給付金をめぐる訴訟(そしょう)で、同性パートナーを給付対象とすることに反対意見を述べたことが、投票日前(とうひょうびまえ)にネットなどでちょっと話題になっていた。その影響があったのかもしれない▼国民審査が司法へのメッセージだとすれば、こちらは司法からのメッセージだろう。きのう東京高裁で、同性婚を認めていない民法などを違憲とする判決があった。いまの規定は「差別的取り扱い」だとして、変わりつつある社会を後押しした▼司法と世論のバランスはどうあるべきか。国民審査制度の導入を議論した1946年の帝国議会では、それが大きなテーマだった。「(裁判官が)俗論に迎合(げいごう)することになりはしないか」と、一時は憲法(けんぽう)の原案から削除されかけた▼確かに、裁判官が保身のために、国民の受けを気にするようなことがあってはならない。だが主権者のチェックから、司法だけ逃れられるわけもない。司法と社会が大きな対話を繰り返すことで、少しずつ課題は解決にむけて動き出す▼国民審査は、そのための一つのツールだ。埋もれかけて(うもれかけて)いた対話の方法を見つけた――。今回の審査結果は、その証しかもしれない。