2024年10月9日 5時00分

女心?と秋の空

 この時期によく用いられることわざに「女心と秋の空」がある。だがこの言葉、本来は「男心と秋の空」なのだそうだ。あれこれ辞書をめくると確かに、男心のほうがもともとの形、とある。時代の流れで変わったらしい▼考えてみれば、むかしは夫が妻のもとを訪ねる通い婚であった。待ち人来たらずと泣かされたのは、多くは女性の側だったろう。〈忘れじのことの葉いかになりにけんたのめし暮(くれ)は秋風ぞ吹く〉宜秋門院丹後(ぎしゅうもんいんのたんご)。飽きという風が、忘れまいという誓いも吹き散らしていく▼空の移ろいがめまぐるしい季節になった。つい先日までは汗ばむほどの陽気だったのに、急に冷たい雨が降る。かと思うと、雲間から澄んだ日差しが届く。一日の中でも、くるくる天気が変わる▼運動会や遠足などで雲行きが気にかかるとき、インターネットのない時代は、頼れるのはテレビやラジオ、新聞が伝える天気予報だった。「ところにより雨」と出ていようものなら、最新情報で奇跡が起きていないかと電話に手を伸ばしたものだ▼受話器に耳を押し当て、「気象庁発表の……」という声に聴きいる。その177も来年3月末で廃止になるとか。スマホに「雨雲が近づいています」と通知が来る時代だ。利用者が急減しているという▼時とともに、あれもこれも変わってゆく。だからこそ、こんな歌にほほえまされる。〈天気予報雨に変われど約束の延期はしないだって逢(あ)いたい〉笠井真理子。こちらは、男女とも変わらない心である。