2024年12月20日 5時00分

渡辺恒雄氏と朝日新聞

 これほど熱心に、朝日新聞を読み込んでくれた人は珍しいかもしれない。「ぼくは新聞人生の半分以上を朝日への対抗意識で過ごしてきた」。そんな言葉が残っている。読売新聞のトップを長く務めた渡辺恒雄(わたなべ つねお)氏が、亡くなった▼「朝日とぼくはどうにも妥協できない点がある」。主張はことごとく、対立した。憲法は改正すべし。核抑止(かくよくし)は是(ぜ)とすべし。原発は存続すべし……。でも、だからといって、朝日がなくなればいいとは思わない、とも明言していた▼「戦時中のように軍国万歳、陸軍礼賛の記事を朝日も読売も毎日も書いたというのはよくない」。違いを大いに論じ合い、読者が判断するのが一番いい、というのが持論だった▼違和感を覚えるのは、権力との一体化をよしとするかのような振る舞いである。政局の舞台裏(ぶたいうら)で、プレーヤーの役割を自ら進んで担った(になった)。友人から陳情(ちんじょう)を頼まれ、首相に予算措置(そち)を求めることもあった。もはやジャーナリズムとは言えまい。しかも、それを自慢話のように公言した▼自省を込めて言えば、記者と政治家の関係は悩ましい。遠くにあれば情報に疎く(うとく)、近くにあれば権力監視はままならない。いかに自らを律し、一線を画す(かくす)か。日々、葛藤(かっとう)を続ける記者がいることなど、お構いなしだったか▼独特の存在感と凄み(すごみ)から、メディア界のドンとも呼ばれた。「朝日新聞は、一言でいうと嫌いだが、毎日最初に読まざるを得ない」。そんな言葉を、そのままお返ししたくなる人だった。享年(きょうねん)98。

渡邉 恒雄(わたなべ つねお、1926年〈大正15年〉5月30日 - 2024年〈令和6年〉12月19日)は、日本の新聞記者・実業家。株式会社読売新聞グループ本社代表取締役主筆。