2024年12月17日 5時00分

安部公房(あべ こうぼう)と奉天(ほうてん)の街

 瀋陽(しんよう)という街を、かつて日本人は奉天と呼んだ。中国の東北地方が広く満州と言われたころの話だ。東京駅に似た駅舎が造られ、日本の子どもが通う学校は、千代田小学校と名付けられた。卒業生のひとり、安部公房は書いている▼ほこりっぽく乾いた、樹木(じゅもく)の少ない町、流れの定まらない黄色くにごった河、象徴的にそびえている給水塔……。「私が育った奉天というところは、あの殺風景な満州の中でもとくに殺風景な町である」▼ノーベル文学賞の有力候補とされた著名作家は、出身地を問われる度に複雑な感情を抱いていたようだ。「私たちは奉天を故郷と名乗る資格をもたない」。そんな言葉を記した小文も残る。「日本人の全体は武装した侵略移民だった」のだからと▼『壁』『砂の女』『箱男』。いずれも不条理な世界観で、読む人の心を波だたせる名作だが、私が一番ひかれるのは『けものたちは故郷をめざす』。敗戦の後、満州から「帰国」しようとする主人公の若者はつぶやく。「日本なんて、どこにもないのかもしれないな」▼国家とは何か。国籍とは、国境とは何なのか。日ごろ(にちごろ)は鉄板のように強固(きょうこ)に思えても、実はあやふやなものに過ぎず、何かの拍子にスッと消えてしまう。そんな脆い(もろい)存在であることを、終戦を奉天で迎えた作家は、痛切に感じていたのだろう▼今年は、安部公房の生誕100年である。彼が通った千代田小学校は瀋陽にもうないが、給水塔は文化財に指定され、いまも静かにそこにある。