2024年12月8日 5時00分

開戦の日の作文

 〈朝、おきてふとんを上げて居ると お母さんが、「文ちゃん、いよいよアメリカとイギリスと日本と戦争をしましたよ」とおっしゃった〉。国民学校の初等科4年、いまの小学校4年生にあたる「大原文子(おおはら ふみこ)」さんは「米英戦争」と題した作文をそう書き始めている▼1941年12月8日(ようか)、83年前のきょう旧日本軍は真珠湾(しんじゅわん)を急襲した。あの日、この国の人々は、何を思っていたのだろう。京都市学校歴史博物館に残る黄ばんだ(きばんだ)原稿用紙の文字からは、答えの一つがぐっと迫ってくる▼〈いや、ほんとか、そしたらばくだんが落ちて来るなあ〉。彼女は驚きを隠さない。でも、予期せぬことではなかったのだろう。〈いよいよ戦争だ。「国民は心を引きしめなければならない」と言ひのこして行かれたお父さんの言葉を思い出した(おもいだした)〉▼父親はそのとき、すでに軍に召集されていた。開戦と言っても、日本は中国との泥沼の戦いのさなかにあった。〈お父さんが今頃どうして居られるだらうと思って〉。少女の心配をよそに、後に父親はフィリピン戦線で亡くなっている▼当時のことを想像してみる。開戦を支持し、熱狂した人がいたのだろう。不安と絶望に身を震わせた人もいただろう。何ともならぬ諦めや、鼻白む(はなじろむ)思いもあったに違いない▼〈家にかへる(帰る)ととても大きな声でラヂオが話して居た〉。文子さんの作文はそう結ばれている。ときは過ぎ、いま、勇ましい言葉が再び、聞こえてきてはいないか。そっと手を、耳にあてる。