2024年12月21日 5時00分
少数派の年賀状書き(ねんがじょうがき)
くねりとした、柔らかい文字だった。石川啄木は、謹賀新年と毛筆(もうひつ)で書き始めている。明治41年だから1908年、同郷(どうきょう)の金田一京助(きんだいち きょうすけ)に送った年賀状である。東京にある森鴎外(もり おうがい)記念館の特別展「111枚のはがきの世界」で、目にした▼「さすらひ来し北の浜辺の冬は寒く候、御無沙汰の罪は幾重にも」と文章は続く。21歳の啄木は北海道の寒風(かんぷう)の地で、新聞社を転々としていた。その侘(わ)びしげな姿が、黄ばんだ一枚のはがきから、じんわりと立ち上がってくるかのようだ▼どうして手書きの文字というのは、こうも不思議な力があるのだろう。印刷された賀状でも、ペンで書き足された「お元気ですか」の一文があれば、差出人(さしだしにん)の顔が浮かぶ。達筆(たっぴつ)もいいし、悪筆(わるひつ)もまた個性。温かみを持つ肉筆(にくひつ)のよさである▼それだけに、先日の本紙の世論調査には、驚いた。郵便で出す年賀状の数を尋ねたところ、「出さない」という人が57%と、半数を超えたという。5年前には33%だったというから、かなりの駆け足で、紙の年賀状離れが進んでいるらしい▼年始のあいさつはSNSやメールで十分、という人は6割近くいた。18~29歳の若い層に限れば、8割だそうだ。はがき文化そのものが、このまま無くなってしまうのだろうか。寂しいなあ、とひとりごつ▼きょうはもう冬至(とうじ)。年賀状を書かれるという少数派の方は、お早めに。〈かの時に言ひそびれたる/大切の言葉は今も/胸にのこれど〉(かのときにいひそびれたる/たいせつのことばはいまも/むねにのこれど)。啄木の歌が、妙に染み入る(しみいる)年の瀬である。
石川 啄木(いしかわ たくぼく、1886年〈明治19年〉2月20日 - 1912年(明治45年〉4月13日)は、岩手県出身の日本の歌人、詩人。「啄木」は雅号(がごう)で、本名は石川 一(いしかわ はじめ)。