2024年12月11日 5時00分

原爆をつくる人々に

 死の静けさ(しずけさ)に覆われた(おおわれた)原爆投下後(とうかご)の長崎。黒焦げ(くろこげ)の人が銀行の礎石(そせき)に座ったまま動かなくなっていた。死んでいる、と行き過ぎようとした23歳の福田須磨子(ふくだ すまこ)さんは、かすかな声に驚く。「水を下さい」。空耳(そらみみ)か。「水を……」▼黒焦げの手にコップを渡すと、スローモーションのように腕は動き、1~2滴が唇に触れたかという瞬間、その人はコップを落として、命燃え尽きた。「その事実だけを受け取る以外にない。(略)祈らずにはおれなかった」(『われなお生きてあり』)▼人間として死ぬことも人間らしく生きることも許さない、それが原爆だと日本被団協は訴え(うったえ)つづけてきた。会の精神は、68年前の結成宣言に凝縮(ぎょうしゅく)されている。「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」。長年の活動に、きのうノーベル平和賞が贈られた▼ここ数日、代表団は高齢をおして、海外メディアとの会見などに応じてきた。映像を見ていると、心の奥底が痛む。この国は、いまも「核の傘」の下にいるからだ▼互いに核を持てばどちらも攻撃できないという核抑止論は、リーダーの判断は常に理性的だという仮定に支えられている。歴史と世界を見渡すとき、それが信じられるだろうか▼福田さんは多くの詩を書いた。その一つを、いま読み返す。〈原爆を作る人々よ!/今こそ ためらうことなく/手の中にある一切(いっさい)を放棄するのだ。/そこに始めて 真の平和が生まれ/人間は人間として蘇る(よみがえる)ことが出来るのだ。〉