2024年6月27日 5時00分

松本サリン事件30年

 ガス中毒の死傷者がいる。急報をうけて住宅地に駆けつけると、側溝(速攻)で魚が死んでいる奇妙な光景に出会した(でくわした)。「これは……」。1994年、その年の春に入社して長野へ配属された同僚の記憶である。オウム真理教による松本サリン事件から、きょうで30年となる▼古い紙面を見れば、翌々日には「ナゾ急転 隣人(りんじん)が関係」と、第1通報者の河野義行(かわの よしゆき)さんを犯人(はんにん)視し始めている。同僚も河野さん宅周辺に居続けたそうだ。メディア史に残る汚点(おてん)である。「私に関わるものが全否定されたのです」。河野さんは後に語っている▼原因は何だったのか。1年後の検証記事には、いまも少なからず思いあたる点がある。捜査当局から得た情報への偏り(かたより)、他社に負けず続報を書かねばというプレッシャー。「決めつけは危険だ」との声もあったが、過熱する流れを止められなかった▼取材とは、小さな穴から外の世界をのぞくようなものだ。見えたものを必死に描くが、目にしているのは全体のごく一部かもしれない。そこを忘れがちになる▼予断を排し、事実の前に頭(こうべ)を垂れる。心に銘じるべき教訓である。だがそう誓ったつもりが、時間がたつと、また頭は高くなってしまう▼河野さんが著書『命あるかぎり』に、こう書いている。「事件の教訓は、マスコミ総体としてはなんら活(い)かされていない。一つの反省が、次の世代に伝わっていかない」。メディアの一端を担う者としてかみしめたい。だから書く。忘れぬように、伝わるように。

松本サリン事件(まつもとサリンじけん)は、1994年(平成6年)6月27日に長野県松本市でオウム真理教により引き起こされたテロ事件。警察庁における事件の正式名称は松本市内における毒物使用多数殺人事件。オウム真理教教徒らにより、神経ガスのサリンが散布(サンプ)されたもので、被害者は死者8人に及んだ。戦争状態にない国において、サリンのような化学兵器クラスの毒物が一般市民に対して無差別に使用された世界初の事例であり、同じくオウム真理教による地下鉄サリン事件を除けばその後も類が無い。また、第一通報者で被害者の河野義行が容疑者として扱われた報道被害事件でもある。その背景には、杜撰な捜査を実施した警察とマスコミのなれ合いがあったとも言われる。坂本堤弁護士一家殺害事件、地下鉄サリン事件と並んでオウム3大事件と呼ばれている。