2024年8月15日 5時00分

死者の声を聞く8月15日

 名優(めいゆう)として知られた森繁久弥(もりしげ ひさや)さんは戦中、旧満州の新京放送局に勤めていた。日本の敗色が濃くなったころ、関東軍の極秘の命令で、特攻隊員の遺言を残す仕事をしたそうだ。ポロポロと涙を落としながら、60人ほどの若者たちの勇壮(ゆうそう)な言葉を録音したという▼「青い海の底で」と題する一文に、森繁さんは記している。そのなかにひとり、おそらく永久(えいきゅう)に忘れられない隊員がいたと。長い沈黙(ちんもく)があったのち、白皙(はくせき)の若者はマイクに向かって、重い口を開いたそうだ▼お父さん。いま僕はなぜだか、お父さんと一緒にドジョウをとりにいったときの思い出だけで頭がいっぱいなんです。何年生だったかな。おぼえてますか。弟と3人でした。鉢山(はちやま)の裏の川(裏のかわ)でした。20年も生きてきて、いま最後に、こんな、ドジョウのことしか頭に浮かんでこないなんて……▼ポツンと言葉がとぎれてから、若者は言った。「何だかもの凄く怖いんです」。ハッと胸を刺されるような響きがその声にはこもっていた。「僕は卑怯(ひきょう)かも知れません…ね…お父さんだけに僕の気持を解って(わかって)もらいたいん…だ」▼あの戦争で、多くの人が死んだ。敵も味方も。兵士も民間人も。女も男も。なぜ彼らは、彼女らは、死ななければならなかったのか。それは避けられなかったのか。誰のせいか。何のためか▼どこかの青い海の底で、あの若者はいまも、死の恐怖に魂(たましい)を慄かせて(おののかせて)いる気がしてならない。森繁さんはそう書いた。きょうは、79年目の8月15日である。

日本の降伏(にほんのこうふく)とは、通常、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の日本による、連合国(実質的にはアメリカ合衆国)のポツダム宣言受諾(1945年8月10日)から、玉音放送および日本軍の戦闘停止(8月15日)、降伏文書署名(9月2日)に至るまでの過程を指す。以下、日本及びその各占領地における経過を説明する。

おののく 《戦く; 慄く》 (v5k,vi) (uk) (See 戦慄く・わななく) to shake (from fear, cold, excitement, etc.); to shudder; to tremble

 岸田文雄首相は14日午前、首相官邸で記者会見を開き、9月の自民党総裁選には出馬しない意向を表明した。理由として、「新生自民党を国民の前に示すことが必要で、最もわかりやすい最初の一歩は、私が身を引くこと」などと説明した。これまで、「道半ばの課題に結果を出す」と続投に意欲を示してきたが、内閣支持率が長期低迷するなか、引き際(ひきぎわ)を決断した模様だ。

 岸田首相の在職日数(ざいしょくにっすう)は6月に1千日を超え、戦後35人の首相のうち8位となっていた。内閣支持率も長らく4割前後の安定した水準を維持してきたが、大きく落ち込むきっかけになったのが2023年12月から騒ぎになった派閥(はばつ)の裏金事件だった。