2024年8月13日 5時00分
米軍ヘリ墜落から20年
シュルシュルという落下音(落下おと)の後、ドーンという音が響いたそうだ。沖縄国際大学の建物に米軍の大型ヘリが衝突し、炎上したのは20年前のきょうだった。全長27メートルというから、路線バス3台ほどの巨大な鉄の塊である。銃弾(じゅうだん)のように破片(はへん)が飛び、周囲に突き刺さった▼「私も子どもも命はないと思った」。近所の女性は地元紙に語っている。窓ガラスを破り、こぶし大のコンクリート片(へん)が部屋に飛び込んできたという。わずか1メートル脇には、生後(せいご)6カ月の赤ちゃんが直前まで寝ていた。犠牲者が出なかったのは文字どおり奇跡だった▼理解できないのは、米軍が大学構内や公道に黄色いテープを勝手にはり、事故現場を封鎖したことだ。現場検証を求める警察を閉め出し、政府高官の立ち入りも拒否した。まるで占領下での振る舞いである▼日本の国家主権が侵害されている――。抗議の声が上がったのは当然だろう。だが、米軍は意に介さずだった(unconcerned)。自らの特権を定める日米地位協定を盾に使い、日本政府もこれを擁護(ようご)した▼「ああ、そうか」と多くの人が、痛感したに違いない。日米関係には光と影があると。平和をともに守ろうという同盟の姿は、明るさをはらむ。一方、もう一つの顔は、支配と従属(じゅうぞく)に類するような冷徹なものである。その何と暗く、不条理なことか▼いまも、いびつな関係は続いている。沖縄に限った問題ではない。この国のあり方を、根底(こんてい)から問う話である。同じことはどこでも、起こりうる。日本のどこでも。
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に隣接する沖縄国際大学に、米軍の大型輸送ヘリコプターが墜落した事故から13日で20年。事故は米軍によって日本の主権が制約を受ける日米地位協定の問題を浮き彫り(うきぼり)にした。近年は日米の軍事一体化とともに本土でも米軍機事故が相次ぐが、不平等(ふびょうどう)な実態は変わらぬままだ。