2024年8月23日 5時00分
路上で耐える難民たち
両脇にくっついた、幼い我が子が震えていた。当時、妊娠6カ月。彼女は東京の駅の構内に座りこみ、真冬の夜をじっと耐えた。行き交う人の一瞥(いちべつ)が刺さる。誰も、助けてはくれない。「苦しかった。すごく、寒かった」。伏し目がちにふり返る▼アフリカから来た難民申請者のイディさん(仮名)。反政府の武装勢力に町を襲われ、多くの人が死んだ。夫も殺された。一時的なビザが下りた日本に、2人の子どもと逃げてきた。路上で過ごした後、支援団体に救われた。命をつないだのは民間の助けだった▼日本を含む難民条約の加盟国には、逃れてきた人を保護する義務がある。だが、英仏独などと異なり、日本には難民申請者の生活を保障する法制度がない。法の裏付けのない「保護費」はあるが、審査は厳しく、路上生活になる人も多い▼先日、以前に公園で知り合った別の申請者から電話があった。「助けて。腹が減った。耐えられない」。会うと、やせて目は虚(うつ)ろだった。路上で2カ月。もう心身は限界だ▼彼のそばで夜を明かす。虫が容赦なく服の中を這(は)う。腕じゅうが蚊に刺され、いくら掻(か)いてもかゆい。別の夜は強雨に打たれ、夏でも芯から震えた。彼はつぶやく。「冬になればもう、死ぬかもしれない」。日本に来てこんな生活をするとは、思わなかった▼母国を逃れ、必死に助けを求めた人間を、また苦しめる。命の瀬戸際へと追いやる。それは、なぜなのか。それが私たちの望んだ、作りたい社会なのだろうか。