2024年8月4日 5時00分
大日向村(おおひなたむら)の46年
人はしばしば、自らが誇るものを名前に込める。長野県の南佐久(みなみさく)地方にあった大日向村という村名(そんめい)も、そうだったのではないか。渓谷(けいこく)のほとりの村は東西にのびる。深い山間(やまあい)の地にしては、雨少なく、陽光が注ぐ時間も長かったのだとか▼そんな山村(やまむら)が歴史の表舞台(おもてぶたい)に登場したのは、日中戦争のさなか、1938年のことだ。国策「満蒙開拓(まんもうかいたく)」のかけ声の下、村は人口の半分、800人近くを旧満州に送った。これが全国初の分村移民(ふんそんいみん)の模範村(もはんそん)として、大々的(だいだいてき)に宣伝された▼ただ、敗戦で、状況は一変する。引き揚げ途中、半数が飢餓(きが)などで亡くなった。帰国しても、故郷に家はなかった。この悲しい史実について、移民から46年後の84年、村人(むらびと)の証言を記録した映画『大日向村の46年』が撮影された。今夏(こんか)、長野市で復活上映されている▼映画は、村人たちに重く尋ねている。満州になんて行かなければよかったですか。中国人の土地を奪った事実を知っていましたか。「騙(だま)された」と訴える(うったえる)人、目を伏せ、沈黙する人、それでも「行ってよかった」と語る人……▼すべてをのみ込むように話す、63歳の女性の言葉が印象的だ。「平凡(へいぼん)に、平凡に、平凡に生きてきたんです」。監督の山本常夫(やまもと つねお)さん(76)は回顧する。「悲惨な経験をした人というだけでなく、それぞれの個人の思いを知りたかった」▼証言者の多くは鬼籍(きせき)に入る。満蒙開拓(まんもうかいたく)とは、何だったのか。終戦79年目の8月、戦争が生んだ歪んだ(ゆがんだ)光と影(ひかりとかげ)を、死者たちの語りに聞く。