2024年8月2日 5時00分

津田梅子の英語教育

 新5千円札の肖像になった津田梅子は、言わずと知れた津田塾大の創設者である。英語教師を育てる女子英学塾として出発した1900年、集まったのはわずか10人だった。開校式では個人を尊重する少人数教育の大切さを説き、英語力だけでない「オールラウンドな女性」になるよう促した▼6歳で日本を発ち、11年も米国に留学した津田は、日本の女性が経済的に自立するには専門技術が必要だと考えた。開校の3年後、卒業生のうち5人が、女性で初めて英語教員の免許を取得した▼彼女の英語教育とは、どんなものだったのか。卒業生らの回想によると、非常に厳しかったようだ。発音を間違えると拳で机を激しくたたき、「ノウ、ノウ、ワンスモア、ワンスモア」と叫んで何十回も繰り返させたという(亀田帛子〈きぬこ〉著『津田梅子 ひとりの名教師の軌跡』)▼学生たちはしっかり予習し、授業では意見を述べて議論することが求められた。一方で、毎月学芸会のような集まりを開き、詩の暗唱や音楽、寸劇などを発表した。話す力を身につけると同時に、堂々と人前に立つ訓練にもなった▼文法や発音などの基礎をたたき込む。話す、聞く、読む、書くの技能を満遍なく、多様な手段で磨く。英語教育に求められるものは百年前から変わっていない▼津田は教育の力を信じ、男女平等の理想を掲げ続けた。「日本の女性がより良い教育を受けられる日が、近い将来に来ますように」。107年前の、卒業生への最後の告辞である。