2024年2月2日 5時00分

辞書を編む

 うんうんと唸(うな)りながらコラムを書く。傍らに辞書は欠かせない。でもシェークスピアは違ったらしい。大作家が生きた時代の英国に、いまのような辞書は存在しなかったそうだ。すべての英単語を収めた辞書を、と19世紀に企画されたのがオックスフォード英語辞典(OED)である▼作業は気の遠くなるものだった。一つの単語の使われ方について、古典などから膨大な例を集める。一般の人にも協力をあおぐと、丁寧な文字のカードを毎週100枚も送ってくる謎の人物が現れた。その正体は精神科病院に収容されていた殺人犯――。サイモン・ウィンチェスター著『博士と狂人(きょうじん)』が伝える数奇な事実である▼140年前のきのう、「A」から「Ant」までを集めたOEDの第1分冊が出版された。企画から26年後にようやくなし遂げた成果である。完成にはさらに40年以上を要した▼地道な努力と情熱なしに辞書をつくることは出来ない。それは今も変わるまい。そして言葉が生き物である以上、辞書は永遠の未完成品でもある▼たとえば広辞苑では、かつて「炎上」の意味は「火が燃え上がること。特に(略)建築物が火事で燃えること」とされていた。最新版で意味が加わった。「インターネット上で、記事などに対して非難や中傷が多数届くこと」▼改訂の作業では、動詞だけでも約6千語の意味を議論しなおしたそうだ。まったく頭が下がる。うんうんと唸りながらコラムを書く。傍らの辞書、さっきとは違って見える。