2024年9月27日 5時00分

袴田巌さんの58年

 あの年も、ずいぶんと暑い夏だったらしい。ムシムシとした日がずっと続いたと、私の母が昔、よく言っていた。1966年8月、ときおり小雨(こあめ)がぱらつく曇天(どんてん)の日、当時30歳の袴田巌(はかまだ いわお)さんは逮捕された▼私が生まれたのは、その翌日だった。だから、この事件を考えるときにはどうしても、自分の半生(はんしょう)を重ねてしまう。そして、思う。袴田さんが殺人犯とされた58年という年月がいかに長く、重いものかを▼「神さま――。僕は犯人(はんにん)ではありません。僕は毎日叫んでいます」。袴田さんはそんな言葉を手紙に書き、獄中(ごくちゅう)から親族に送っている。死刑の判決は逮捕の2年後。刑が確定したのは、私が坊主頭(ぼうずあたま)で田舎の中学に通っていたころだった▼「刑場に引かれる夢の中で絶望の何たるかを知り尽くす」。いつ刑が執行されてもおかしくない日々に、心が蝕まれた(むしばまれた)ようだ。姉の秀子(ひでこ)さんとの面会では「悪魔の手先」が来るといった妄想を口にするようになっていったという▼きのう、静岡地裁(ちさい)は再審判決で袴田さんを無罪とし、捜査機関が証拠を捏造(ねつぞう)したと認定した。捏造で死刑求刑とは、重大な犯罪だ。殺人未遂ともいえるのではないか▼58年前に生まれた赤ん坊もいまでは老眼鏡をかけ、髪はすっかり薄くなった。秀子さんによれば、「はっきりものを言う人間」だった弟は、もはや意思の疎通(そつう)が難しいという。あまりにも長き歳月を、袴田さんは非情に奪われた。何とも言えぬ虚しい(むなしい)気持ちを、どこにもっていけばいいかと、悩む。