2024年9月26日 5時00分

洞爺丸遭難70年

 一冊の重たい本がある。筆者の職場の地下書庫に、静かに眠っていた本である。紺色の表紙(ひょうし)には銀の文字で書かれている。『洞爺丸遭難追悼集(どうやまるそうなんついとうしゅう)』。一晩で1155人もの命が失われた事故の遺族たちが、悲しく綴った(つづった)追悼文集だ▼惨劇はちょうど70年前、1954年9月26日に起きた。青函連絡船(せいかんれんらくせん)の洞爺丸は、台風の勢いが弱まるとの誤った予測で出港し、強い波風(なみかぜ)を受け、転覆(てんぷく)した。生存者はわずか1割。その数字が被害の凄まじさ(すさまじさ)を非情に物語る▼「お父さん。お父さん。なぜ死んだのでしょう」。むなしく問いかける中学1年の女子生徒の言葉が追悼集にはある。その朝、家をでる娘に「最期の別れをしなかった」と悔いる(くいる)親もいる。「無常の世とは言へ未(いま)だに諦め切れず(むじょうのよとはいえまだにあきらめきれず)」。別の母親は子を失い、そう嘆いた▼遺族たちが編纂(へんさん)した非売品(ひばいひん)の本である。犠牲者の名前や経歴とともに、724人分の顔写真がずらり並ぶ。70年の長きを経て、なお射るような死者の目は、何かを言わんとして、まっすぐにこちらを凝視(ぎょうし)している▼改めて思う。いかに科学が発展しようと、人は間違いを犯す。自然の強大な力を前に、その存在の何と小さき(ちいさ・き)ことか。ときに自らの無力さに気づき、立ち止まることがあっても、歳月がたてば、それも忘れがちである▼「このあやまちを、悲しみを、再び繰り返してはならない」。遺族会の会長は追悼集に記した。その思いを想像しつつ、黄ばんだ紙にある「将来の深い戒め」との文字をそっと指でなでる。

おもた・い 0【重たい】(形)《文ク おもた・し》 ① 目方が多い。「荷物が―・い」 ② 重い感じがする。「まぶたが―・くなる」「―・い足をひきずって帰る」

せいかんれんらくせん 【青函連絡船】 青森・函館間の旧国鉄連絡船。津軽海峡(つがるかいきょ)を渡って本州と北海道を結ぶ。1988年(昭和63)青函トンネル開業により廃止。