2024年9月25日 5時00分
32年ぶりの帰国
Mさんは1972年、タイ北部の村に生まれた。学校への道は遠く、いつもぬかるみ、歩きにくかった。家には自転車もなかったので、すぐに通うのをやめてしまった。だから、彼女は読み書きが苦手(にがて)である▼日本に来たのはバブル崩壊のころ、20歳(はたち)のときだった。小柄(こがら)で、黒い髪に大きな目。入国の経緯は不明だが、いい仕事があると騙された(だまされた)らしい。本州の真ん中あたりの街の「スナックのような店」で、働かされた。知らぬ間に借金を背負わされて(せおわされて)いたという▼やがて店を離れ、日本人の男性と暮らし始める。パスポートがなく、タイの大使館に相談したが、国籍は認められなかった。正式な結婚はできない。帰国もできない。無国籍のまま生きていくしかないと思った▼じっと息を潜めるように、小さく暮らしてきた。不法滞在を問われるのを恐れ、外出は近所のスーパーと銭湯(せんとう)ぐらい。アパートの部屋にはいつも、タイ料理に使う唐辛子(とうがらし)を叩く(たたく)、トントンという音だけが響いていた▼そんな彼女を救ったのは、NPO法人「無国籍ネットワーク」だった。粘り強く日タイ両国で手続きを進めた。メンバーの一人、早稲田大学教授の陳天璽(チェンティエンシー)さん(53)は言う。「アイデンティティーの問題に翻弄(ほんろう)されている人たちに、少しでも笑顔になってほしくて」▼先週、Mさんは32年ぶりの帰国のため、羽田空港(はねだくうこう)にいた。「タイに彼が来て、結婚式。写真、送るよ」。彼女はそう、私に言った。うれしそうだった。涙もまじった、笑顔だった。