2024年9月17日 5時00分
中秋の名月
ススキを採っておいで、と母に言われたのは団地住まいの頃だった。団地は、駅からバスで20分もかかる郊外にあって、丘を切り開いたものだったから、見つけるのはわけなかった▼その夜、母はススキを花瓶(かびん)に生け、狭いベランダで小さな月見(つきみ)を催した。幼い自分はもとより月より団子で、夜のピクニック気分を楽しむだけだったから、空の様子は覚えていない。一度きりの思い出である▼当時の親の年齢はとうに過ぎた。いま思えば、子育てに疲れ、一夜でいいから月と向き合いたかったのだろうか。「よろづのことは、月見るにこそ、慰(なぐさ)むものなれ」(徒然草(つれづれぐさ)第21段)。心を投影する友は月に、しかも秋の月に限る。今宵(こよい)、中秋の名月である▼あの冴えた(さえた)輝きには不思議な力があって、過去の楽しかったことはより楽しく、つらかったことは少し和らげて思い起こさせてくれる。だから、秋の行事としての月見はすっかりハロウィーンに座をゆずったが、月をめでる気持ちは人の心から消えることはない▼いじわるな秋雨前線(しゅううぜんせん)のせいで、地域によっては雲間(くもま)の眺めとなるかもしれない。しかし、それもまた一興(いっきょう)。「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」(同第137段)。ものの味わいは満開の花や皓々(こうこう)たる月ばかりに備わるものではない、とも説いている▼月見のあてに団子のかわりに杯を傾ける。〈名月を隠す雲居(くもい)や独り酒〉山田富朗(やまだ とみろう)。銀の光が酒に映れば、これ幸い。そうでなくとも、一句生まれるかもしれぬ。