2024年9月10日 5時00分

被爆者と被爆体験者

「被爆(ひばく)体験者とは何か。被爆者とは違うのか」。20年近く前に私がイタリアに駐在していたころ、地元で平和運動をしている男性から質問されたことがあった。「ヒバクシャ」をテーマとした歌をつくり、反戦集会で歌いたいという▼当時は「ヒバクシャ」という日本語が、海外の平和運動家らの間でも広がりつつあった。男性は広島と長崎を訪問したばかりで、長崎で「被爆体験者」に会ったという。不自然な言葉が生まれた経緯を説明したが、ずっと首をひねっていた▼きのう、長崎地裁(ちさい)で当事者たちが起こした訴訟(そしょう)の判決があった。原告の一人が、被爆体験者は「辞書を引いても出てこない」と語ったと聞き、「同じ原爆の生存者なのに」と不満そうだったあの男性を思い出した▼原告は、これまで被爆者健康手帳が取得できなかった場所で原爆に遭った44人。判決は、このうち15人を被爆者と認めた。線引きである。判決を読みながら、被爆体験者たちは何度、線引き(せんびき)されてきたのだろうと考えた▼最初は1957年だ。被爆者を援護するため、国は手帳を取得できる区域を指定した。線引きを重ねて拡大を続け、爆心地からの半径が南北(なんぼく)に約12キロ、東西に約7キロの楕円(だえん)形になった。半径12キロの同心円を描いて、域内(いきない)で手帳がもらえない「被爆体験者」を対象とした新制度を始めたのは22年前だ▼きのうの判決では、裁判所が新たな線を引いた。地図に落としてみた。いびつな長円(ちょうえん)から、ぽっこりとこぶが突き出たように見えた。