2024年9月4日 5時00分

NHK国際放送の尖閣発言

 哲学者の鶴見俊輔(つるみ しゅんすけ)は、米ハーバード大の学生だった19歳のとき、日米開戦を迎えた。「負ける側にいたい」と帰国の道を選び、軍属としてインドネシアに送られる。与えられた任務は連合国側のラジオ放送を聞き、日本語に訳す仕事だった▼ある日の深夜のことだ。ラジオから、英詩人T・S・エリオットの講義の声が聞こえてきたという。プロパガンダ放送も多いなか、戦地で聞く高尚(こうしょう)な文学論は、米国帰り(べいこくがえり)の若者を何ともうれしい気持ちにさせた▼「夜中の一時間、面白かったね」。共著『日本人は何を捨ててきたのか』で鶴見は振り返る。ラジオの力に驚き、「文化は撒き散らされる(まきちらされる)ことによって文化となる」との名言も残る▼古い話を思い出したのは、NHKのラジオ国際放送で、電波ジャックが起きたからだ。中国人の外部スタッフが尖閣諸島は「中国の領土」と伝えたという。個人の主張が勝手に公共の放送で流れる。NHKの管理体制が問われる事態だ▼一方で、昨今の風潮を見れば、これを奇貨(きか)とし、政府の見解をことさら公共放送に押しつける向きが生じないかとの懸念も抱く(だく)。ときの政府の立場は、必ずしも公共の利益と同義ではない。放送の自主性が傷つけば、その信頼性も揺らぎかねない▼鶴見が喜んだ番組は、BBCにいたジョージ・オーウェルが手がけたものだった。戦後日本を代表する知性と名著『一九八四年』の英作家。そんな2人が戦時のラジオ放送を通じて邂逅(かいこう)していた。その妙に深く、感じ入る(かんじい・る)。

ぐんぞく 10【軍属】 軍隊における非軍人。旧陸海軍では,軍に所属する文官と文官待遇者のほか,技師・給仕などをいった。

でんぱジャック 4【電波ジャック】 非合法に,ある放送局が他の放送局と同じ周波数やチャンネルを用いた放送を行うこと。敵対国の住人に対して行う政治的な宣伝放送をいうほか,航空管制・列車運行用通信や警察・正規軍の通信を傍受し侵入・攪乱することなどをさす。