2024年9月29日 5時00分

リーリー、シンシンさようなら

 人寄せパンダという言葉をはやらせたのは、田中角栄元首相だった。1981年。ロッキード事件の被告でありながら、都議選の応援で受けがいい。「人寄せパンダ」と自称して飛び回った。「さらし物になっていても、頼まれればこのようにちゃんと来る」と聴衆を笑わせたそうだ▼首相在任中に来たランラン、カンカンへの、人々の熱狂ぶりを思い浮かべていたのだろう。パンダといえば行列、という連想はそこから始まったと言っていい。そして、いまも変わらぬ人気者である▼長い間立ち尽くしても見られるのはほんの数分だけ。それでも、中国へ帰るリーリーとシンシンに最後の別れを告げようと、きのうの上野動物園には、徹夜組も含めて、開園前から長蛇の列ができていた▼四川生まれの2頭は、もともと幼なじみだった。2011年、日本へやって来た直後に東日本大震災があった。育てた子どもは計3頭。コロコロとしたぬいぐるみのようなわんぱく、おてんばをあやす姿には、目を細くさせられた。この13年間と家族の歩みをだぶらせる人も少なくないだろう▼2頭が旅立つきょうは、くしくも、1972年に田中首相や周恩来首相らが日中共同声明に署名した日にあたる。ランランとカンカンは、その記念に贈られたものだった▼声明には、こんな一文がある。「両国は、平和友好関係を樹立すべきであり、また、樹立することが可能である」。日中間の波が穏やかならぬ今、もう一度太字で掲げたい言葉である。