2024年3月1日 5時00分
ビキニ水爆実験70年
水着(みずぎ)のビキニはなぜ、ビキニなのか。米国がマーシャル諸島のビキニ環礁で核実験を始めたのは、日本の敗戦の翌年、1946年の7月1日のことだ。その4日後、パリで開かれた水着コンテストに、肌の露出が極端に多い最新モデルが登場した▼フランス人のデザイナーは、太平洋からのニュースに心を奪われていた。ビキニ命名を決めたのは「世の人々がいかに核実験に魅惑(みわく)されているか」を敏感に察したからだという。映画監督オリバー・ストーンと歴史学者ピーター・カズニックの共著『語られなかったアメリカ史』に教わった▼何とも無神経な話だが、当時、米欧社会の原爆のイメージは、新しさや強さだったらしい。米紙にはキノコ雲を模した(もした)ケーキの写真が載った。菓子(かし)などにも原爆にちなむ名がつけられている▼マーシャル諸島では、その後も核実験が続いた。70年前のきょう54年3月1日には、水爆ブラボーの実験があった。ふざけた名である。島の多くの人たちが被曝(ひばく)し、苦しんだ。放射能の被害はいまも消えない▼改めて気づくのは、日本は核兵器の被害を受けた唯一(ゆいいつ)の国ではないことだ。いかに原爆が恐ろしいものか。核廃絶への思いを広く世界で共有するためにも、遠く太平洋の島で起きた悲惨な歴史を忘れたくない▼東京の夢の島には、ブラボー実験で被曝した第五福竜丸が、いまも展示されている。白い船体のそばに張られているのは、厳しい目でこちらを見つめる世界各地の被曝者、12枚の写真である。
ブラボー実験(ブラボーじっけん、英語: Castle Bravo)は、キャッスル作戦として1954年3月1日にアメリカ合衆国によりビキニ環礁で実施された、高出力熱核爆弾を用いた最初の核実験である。実験当時としてはアメリカの最大出力の、また世界初の水素化リチウムを用いた核融合兵器であった。重水素化リチウムのうち、設計上は反応に関与しないはずであったリチウム7が反応に関与し、多量の高速中性子が発生し外殻(がいかく)のウラン238が核分裂した事が原因で、ブラボー実験での出力はTNT換算15Mtと、事前に見積もられていた6.0Mtの2.5倍となった事と、核出力の多くが核分裂反応に拠ってしまった事により、ビキニ環礁の東地域で想定外の放射能汚染が発生した。
第五福竜丸(第五福龍丸、だいごふくりゅうまる)は、米国・ソ連の核兵器開発が急進展した冷戦時代に、アメリカ合衆国がビキニ環礁で行ったテラー・ウラム型水素爆弾実験により、多量の放射性降下物(死の灰)を浴びた、乗組員23名の遠洋マグロ漁船(ぎょせん)。無線長久保山愛吉(くぼやま あいきち、1914年6月21日生)が、被爆した1954年3月1日から約半年後の9月23日に死亡した。政府調査によれば同時に被曝した船が1422隻あった。