2024年7月21日 5時00分
スポーツとジェンダー
88年前、英国の女子陸上界でトップ級だった選手に主治医(しゅじい)が証明書を発行した。〈女性として育ったウェストン氏が男性であり、そのように人生を歩むべきであると証明する〉。性自認が男性で性別適合手術も受けた選手は、「これが最も正確な身分証明だ」と話したという▼先月、米国などで出版されたマイケル・ウォーターズ著『もうひとりのオリンピアン』(未訳)は、スポーツとジェンダーをめぐる歴史を膨大(ぼうだい)な資料でたどった記録だ。性別への違和感に悩む選手たちが百年近くも前からいたことを、初めて知った▼同書によると、ウェストンらの性別移行が欧米で大きく報じられたことで、国際オリンピック委員会(IOC)は危機感を高めた。その後の五輪大会から性別検査を試み始め、IOCや競技団体が独自(どくじ)の「女性性」を形成していった過程なども描かれている▼外見から染色体の検査へ、さらに男性ホルモンのテストステロン値の計測へと至る「男女の線引き」を、著者は批判している。公平性のためではなく、スポーツを厳格に男女で分け、トランスジェンダーなどを締め出す行為だと▼だれもが、ありのままの自分で競技できるべきだ。でもどうすれば、公平性と両立できるのか――。そう考えていた自分も、男女の二元性でしか見ていなかったと気づかされた▼今回のパリ五輪では「線引き」で出場を断念した海外選手もいる。性の多様性を重視する流れの中、スポーツの二元論はもう、限界のように見える。