2024年7月4日 5時00分

強制不妊が歪めた人生

 小林喜美子(こばやし きみこ)さんは兵庫県の尼崎市(あまがさきし)に生まれた。満州事変の翌年、1932年の夏のことだ。出生時(しゅっせいじ)に異常はなかったが、3歳のころ、病気で耳が聞こえなくなった。両親は酒屋(さかや)だった。意思疎通(いしそつう)は身ぶりだけで、難しい会話はできなかった▼後に彼女が裁判所に提出した陳述書には書かれている。「わがままを言ってはいけないと教えられていましたので、何を言われても、『はい』と答え、がんばりました」。学校から帰ると、弟たちの面倒をみた。休みの日には朝から洗濯をした。「盥(たらい)で一生懸命に洗いました」▼苦労して小学校に通い、戦後、20歳で卒業した。結婚は聴覚障害者の男性と、お見合いだった。子どもが欲しかったから、妊娠したときは嬉しかった(うれしかった)。「男の子かな、女の子かな」。夫婦は喜び合った▼母親が突然やって来たのは翌日だった。病院に連れて行かれた。何も分からないまま、中絶と不妊の手術をされた。「母からも、お医者さんからも、何も説明はありませんでした」。赤ちゃんを失ったのが悲しくて、泣き続けた▼振り返って思う。旧優生保護法下の強制不妊は「私の人生を大きく歪(ゆが)めてしまう差別だった」と。「悔しいです。私の身体をなおしてほしいです」。暗然たる言葉を残し、一昨年(おととし)、小林さんは89歳で逝った▼最高裁はきのう、国が彼女たちに賠償しないのは「著しく正義に反する」とする判決を下した。唇をかみ、文月の空を見上げる。正義よ、おまえはいままで、どこにいっていたのか。

月の代表的な和風月名は「文月(ふみづき)」です。