2024年7月2日 5時00分

沖縄の米兵の性犯罪

 この数日、沖縄のことを考えている。思い起こすのは1995年、米兵による少女暴行事件への抗議に、8万人が集まった宜野湾市(ぎのわんし)での県民集会である。地元の高校3年生、仲村清子(すがこ)さんの演説は、何とも凜(りん)としていた▼基地の街に暮らす不条理を訴えながら、彼女は被害者のプライバシーにも言及した。「少女の心」を思うと、事件を公(おおやけ)にして「抗議するべきだったのだろうか」。米兵への憤り(いきどおり)と、被害者の心情を慮る(おもんばかる)気持ち。その葛藤(かっとう)の重さがズシリと伝わってきた▼おそらく多くの沖縄の人が、怒り(いかり)とともに複雑な感情を持ったのだろう。同じ集会で大田昌秀(おおだ まさひで)知事も「申し訳ない」と犯罪を防げなかった(ふせげなかった)謝罪から話を始めている▼あれから29年。いまも悲劇は続く。先週、少女への性的暴行事件で、米兵が3月に起訴されていたことが明らかになった。5月にも別の事件で米兵が捕まっていた▼理解できないのは、いずれの事件も政府が県に伝えて(つたえて)いなかったことだ。悲惨な事件が繰り返されてきた沖縄の歴史を思えば、県は何も知らなくてよいとはなるまい。官房長官は「被害者のプライバシー」を言うが、沖縄の人の懊悩(おうのう)に満ちた言葉に比べ、何と薄っぺらい(うすっぺらい)響きがすることよ▼そもそも政府は、少女たちの「心」にどれだけ向き合ってきたのか。有名な言葉だけれども、いま再び、記したい。仲村さんの演説の結びを。「私たちに静かな沖縄を返してください。軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返してください」

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