2024年1月24日 5時00分

守るべきもの

 井伏鱒二(いぶせ ますじ)は63年前、映画化もされた小説『珍品堂主人(ちんぴんどうしゅじん)』のモデルの骨董屋(こっとうや)と買い出し旅行に出かけた。金沢(かなざわ)から汽車で北上する。車内で会った野良着姿(のらぎすがた)の女将さん(おかみさん)は七尾城址(ななお じょうし)の見物を熱心に勧めた。海岸沿いの町では名士の屋敷で大量の骨董品を披露された▼みな親切で、地域にどっしりと根を下ろした人々だ。紀行文「能登半島」をいま読むと、登場する地名の数々に心が痛む。七尾、穴水(あなみず)、宇出津(うしず)、曽々木(そぞぎ)。いずれも能登半島地震で大きな被害を受けた▼発生から3週間が過ぎたが、石川県ではまだ1万4千人以上が避難所にいる。県は2次避難を呼びかけるが全体の2割程度にとどまっている。理由は様々だが、住み慣れた地を離れたくないと願う人が多い▼より安全な地域のホテルなどへ移る方がいいのはわかる。だが地元には助け合う住民がいる。もし、戻って来られなくなったら。障害のある人にとっても環境の変化は大きな負担だ。健康と安全は身体だけでなく心のものでもある▼2007年に能登で起きた地震では、興味深い調査がある。輪島市内の高齢化率が5割超の集落で、約300戸のうち世帯流出したのは4戸だけだったという。「定住意識の高さ」が指摘されている(山崎寿一(やまざき じゅいち)著『復興集落の持続力とモデル性』)▼家は自分が住む以外に、盆や正月に皆が集まる場所だと気づく。能登には祭りや神事(しんじ)など、守られてきた文化や伝統がある。井伏が旅で触れたのは、しなやかさと強さを備えた優しさだった。

「2次避難」とは? 被災地の避難所「1次避難所」から、被災地以外にあるホテルや旅館といった宿泊施設などに避難すること。 能登半島地震の場合、金沢などに移動するケースが多いとみられている。