2024年1月17日 5時00分
阪神・淡路大震災から29年
1995年の春、阪神(はんしん)・淡路(あわじ)大震災(だいしんさい)の少し後、一本の記事を書いた。自らも被災し、悲惨な目に遭い(あい)ながら、復旧の仕事に力を尽くす人たちのことを伝える(つたえる)記事だ。どうしてこの人たちはこんなに頑張れるのだろう。20代の記者だった私は、不思議に思って取材した▼鮫島真人(さめじま まひと)さんは大阪ガスの技術職で、当時36歳だった。神戸(こうべ)の自宅は、全壊した。妻や3人の幼い子どもは、親類宅に避難した。それでも自分は神戸の事務所のロビーに布団を敷き、何日も泊まり込みで仕事を続けていた▼ガス会社なんだから「仕方がない」。鮫島さんが穏やかにそう語ったのを覚えている。「復旧を早くしないと、みんな、温かいごはんを食べられへんから」と。そして、繰り返した。「亡くなった人のことを思えば、私なんて、ほんま幸せです」▼あれから29年。あの人は、どうしているだろう。調べてみると、会社を定年で辞め、明石(あけし)に住んでいるという。昨年末、会いに行った。もう65歳。髪には白いものが目立つ(めだつ)が、お元気そうだった▼かつては聞けなかったことを尋ねてみた。ひょっとしてあのとき、皆さんは何かを感じていたのでしょうか。使命感とともに、自分が生き残ったことへの申し訳なさ、何か後ろめたさのようなものを▼鮫島さんはすぐには答えず、でも、ぽつりと言った。「大変なとき、子どもと一緒にいてあげられへんかったんは、つらかったですね」。明石の砂浜を、2人で歩いた。瀬戸内の海が、静かに広がっていた。
兵庫県南部地震(ひょうごけんなんぶじしん)は、兵庫県南部を震源として1995年(平成7年)1月17日午前5時46分に発生した地震。兵庫県南部を中心に大きな被害と発生当時戦後最多(さいた)となる死者を出す阪神・淡路大震災を引き起こした。日本で初めての大都市の直下を震源とする大地震で、気象庁の震度階級に震度7が導入されてから初めて最大震度7が記録された地震である。地震の震源は野島断層(六甲(ろっこう)・淡路島断層帯の一部)付近で、地震により断層が大きく隆起して地表にも露出している。