2024年1月13日 5時00分
被災中学生の一時避難
終戦の年(とし)。東京でもいよいよ空襲が激しくなった。まだ字も書けない幼い娘を、父親は学童疎開に出す。あらかじめ宛先を書いた葉書の束(はがきの束)を渡し、「元気な日はマルを書いて、毎日一枚ずつポストに入れなさい」。向田邦子(こうだ くにこ)さんが妹のことをふり返った随筆(ずいひつ)である▼初めは、紙からはみ出す(stick out)ほど大きな赤マルが届いた。ところがマルは急に小さくなり、バツに。じきに(immediately)それさえ来なくなった。3カ月たってようやく妹が帰ってきたとき「私は父が、大人の男が声を立てて泣くのを初めて見た」▼送り出される子はつらい。だが送り出す親も、さぞつらかろう。地震の被害が著しい(いちじるしい)輪島市(わじまし)が、市内の全中学生401人を対象に一時避難を検討している。希望者は親元を離れ、約100キロ離れた施設で寝泊まりするという▼苦しい時に家族が離ればなれになることを、あえて望む人はいまい。だが校舎は避難所になっており、いつから以前のように学べるのか分からない。どちらが子どものためか。決断を迫られた保護者の心境(しんきょう)を思うと、何とも切ない(せつない、painful)▼試み(こころみ)に力を注ぎつつ、出来れば早く元に戻す。必要なのは、滞在先で生徒の心をていねいに見守る目と、地元で仮設住宅などの整備を急ぐ腕の双方だろう▼被災された方々には何の慰め(なぐさめ)にもならないだろうが、家族を結ぶ糸はときに、向かい風が強くなればなるほど太くなる。東日本大震災で被災した宮城県女川町(おながわまち)の中学生が作った句がある。〈知ったこと/それは家族の大切さ〉