2024年1月4日 5時00分
滑走路での衝突
暗くなった羽田空港(はねだくうこう)で炎(ほのお)に包まれる(つつまれる)機体の映像に、衝撃を受けた。おととい、日本航空機と海上保安庁機が滑走路で衝突した。5人が亡くなった海保機は地震の救援で、新潟へ向かおうとしていたという。年明けから続く惨事にやりきれない思いになる▼事故が起きやすい離陸後3分間と着陸前8分間は、「魔の11分」と呼ばれる。過去の記録を調べていたら、滑走路で起きた事故も多いと知った。そのたびに航空関係者が言及するのが、「テネリフェの悲劇」である▼大西洋に浮かぶテネリフェ島(とう)の空港の滑走路で1977年、ジャンボ機同士が衝突した。犠牲者583人は史上最悪だ。その後の調査ではさまざまな「悪条件と過ちの連鎖」が判明し、世界中で注目された▼当時は別の島の空港で爆弾事件があり、多くの便が目的地変更で着陸したため混雑していた。霧で視界が悪かった。管制官と事故機との交信の一部が雑音で聞こえず、「待機」と「離陸」などで誤解があった。疑念を抱いた機関士は機長に遠慮してか、強く主張しなかった等々▼一つ一つを止められないまま、過失(かしつ)が連鎖していった。この事故後、人為ミスと技術面の両方で安全対策の見直しが進んだ。それでも米国の航空安全財団が先月出した報告によると、滑走路への進入は今も「最も根強い脅威の一つ」だという▼今回の衝突の原因はまだわからない。とにかく公正に調査し、対策をたて、徹底するしかない。あの恐ろしい事故現場を繰り返さないために。
テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故(テネリフェくうこうジャンボきしょうとつじこ)は、1977年3月27日17時06分(現地時間)、スペイン領カナリア諸島のテネリフェ島にあるテネリフェ空港(現:テネリフェ・ノルテ空港)の滑走路上で2機のボーイング747(ジャンボジェット)同士が衝突し、両機の乗客乗員644人のうち583人が死亡した事故の通称である。
生存者は乗客54人と乗員7人であった。死者数においては史上最悪の航空事故である。
死者数の多さなどから「テネリフェの悲劇」「テネリフェの惨事」(Tenerife Disaster)とも呼ばれている。
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テネリフェジャンボ機衝突事件
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スペインのテネリフェ