2023年10月21日 5時00分

学徒出陣80年

 東大生でいられたのは実質2カ月だけだった。1943年、学徒出陣の知らせに、20歳(はたち)の松岡欣平(まつおか きんぺい)さんは深い葛藤(かっとう)を記す。人間は何をなすべきなのか、自分は命が惜しい(おしい)のか、死とは何か――。東京・有楽町で始まった「平和のための遺書・遺品展」で、きのう日記を見た▼松岡さんは入営前に映画『無法松の一生(むほうまつのいっしょう)』を見た。主人公が祇園太鼓(ぎおんだいこ)を雄々しく叩く(おおしくたたく)。その映像で、ふるさとでの祭りがよみがえったのだろう。短い人生をふり返り「俺は気が狂いそうだ。俺は太鼓を打ってみたい。(略)世はまさに闇だ。戦争に何の倫理があるのだ」。1年半後、戦死した▼戦争はつねに、若者から夢を奪う。80年前のきょう、東京の明治神宮外苑(めいじじんぐうがいえん)で出陣学徒(がくと)の壮行会が開かれた。10万人とも言われる青年がペンを捨て、戦地に赴いた(おもむいた)▼亡くなった学徒兵の手記(しゅき)を集めた『きけ わだつみのこえ』に、特攻隊だった長谷川信(はせがわ しん)さんの言葉が残っている。23歳。沖縄で散った(ちった)。「今次(こんじ)の戦争には、もはや正義云々(うんぬん)の問題はなく、ただただ民族間の憎悪の爆発あるのみ」▼イスラエルとパレスチナ。ガザでの戦闘中断を求める国連安保理の決議案は、米国によって拒否された。その米国を、ウクライナを侵攻しているロシアが臆面もなく(おくめんもなく)非難する。何と嘆かわしい(なげかわしい)世界か▼「人間は、人間がこの世を創った時以来、少しも進歩していないのだ」。長谷川さんが書き残した憂いを打ち消さねば。そうでなければ、戦火に消えていった若き命が報われない(むくわれない)。

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