2023年12月27日 5時00分
天皇訪中と外交記録
昭和天皇は戦後、訪中(ほうちゅう)の意欲を持っていたとされる。「中国へはもし行けたら」。晩年に語ったという言葉が、元侍従長(じじゅうちょう)の入江相政(いりえ すけまさ)氏の日記に書かれている。いかなる思いだったか。その意も引き継ぐ形で、平成の天皇が訪中したのは1992年だった▼日本の天皇が、中国を訪れたのは後にも先にもこのときだけである。北京で天皇は日中戦争に触れ、「中国国民に多大(ただい)の苦難を与えた不幸な一時期」があったと述べた。巨大な隣国との関係を考えるうえで、極めて重い節目であった▼当時の外交記録が先週、公開された。機密を解かれた文書を読んで驚いたのは、日本の外交官たちが、天皇の訪中を何とか実現させようと踏み込んだ動きをしていたことだ。「訪中より訪韓が先だ」「尖閣問題がある」といった反対論を抑えようと、報道機関に圧力もかけていた▼外務省が、天皇の訪中を「戦後のけじめ」と位置づけ、対中外交の切り札(きりふだ)にしたのはよく分かる。だが、歴史問題はその後も再燃をくり返した。両国関係が期待したように進まなかったのも事実である▼現在の視点だけで、安易に過去を批判するようなことはしたくない。大切なのは、史実から何かを汲み取る(くみとる)ことだろう。歴史家のE・H・カーは「歴史とは現在と過去との対話である」との名言を残している▼天皇の訪韓はいまも実現していない。もし、あのときの訪中がなければ、どうなっていたか。もう機会はなかったか。「戦後のけじめ」の重さを、改めて思う。
1992年10月23日,日皇明仁訪問中國。
日皇明仁(あきひと)是第一位訪華的日本天皇。時值中國邦交正常化20周年之際,1992年10月23日至28日,明仁天皇與皇后美智子應邀訪問中國。他們共到過3座城市,分別是北京、上海及西安。除了有參觀故宮博物館、遊覽八達嶺長城、參觀西安大慈恩寺等外,日皇明仁還在西安碑林博物館中,找到年號「平成」的出處「地平天成」。
值得一提是,日皇明仁在出席歡迎國宴時,有發言回應日軍侵華歷史,他稱這是一段日本為中國人民帶來深重苦難的不幸時期,「深感痛心」。
在日外国報道協会代表質問
問8 1970年代に日中間の国交が正常化されたとき,中国が戦争について公式の補償を放棄したことは,これは寛大な行為だと思われますか。 天皇陛下
このことに関しましては,政府が関係する問題でありますので,お答えは差し控えたいと思います。