2023年11月1日 5時00分
さよなら国立劇場
「まさに大変なことになったものである」。専門誌『月刊文化財』に1966年、こんな書き出しの記事が掲載された。筆者(ひっしゃ)は、戦後の文部省で局長を務めた寺中作雄(てらなか さくお)。「国立劇場の誕生」と題し、日本で初めて国立の劇場ができた経緯をたどった。大変だと言いつつ、行間(ぎょうかん)から喜びが伝わる▼役人時代から型破りで、義太夫節(ぎだゆうぶし)や油絵を趣味とした寺中は率直に書いた。「従来文化政策などというようなことにはきわめて関心の薄かった日本の政府が、今度こそ腹を決めて四〇億という国帑(こくど)を惜しみなく(おしみなく)投入」した。これは「日本文化史上の一大異変」であると▼設立は、明治期から演劇人らの悲願だった。何度も立ち消えになり、計画が具体化したのは戦後10年のころだ。進駐軍の兵舎跡地(へいしゃあとち)に建設され、66年11月に開場。準備から関わった寺中が初代理事長に就いた▼それから57年。老朽化(ろうきゅうか)による建て替え(たてかえ)のため、きのうで幕を閉じた。再整備事業の入札が2回とも落札(らくさつ)に至らず、2029年度を目指していた新たな出発の見通しは立っていない▼閉場中は新国立劇場や民間のホールなどで公演するが、何年も続けられるのか。力を入れてきた伝統芸能の継承も、担い手(にないて)の育成に影響が出ないか心配だ。観客の高齢化が進む中、若者も引き込みたい▼私も中学時代に鑑賞教室で歌舞伎を見て以来、文楽(ぶんらく)や雅楽(ががく)、現代劇と通い続けた。きのう、静かな劇場で閉場までの日数を示す足踏みスタンプを押した。「あと0」の文字が寂しかった。