2023年6月14日 5時00分
ウクライナのダム決壊
時代劇スターの嵐寛寿郎(あらし かんじゅうろう)をして「天才や」と唸らせた(うならせた)若き映画監督がいた。山中貞雄(やまなか さだお、1909年11月8日 - 1938年9月17日)。だが才能は戦争にかき消される。27歳で召集されて中国戦線へ。目の前に広がっていたのは、日本軍を食い止めようと(くい止めようと)中国軍が黄河(こうが)の堤防(ていぼう)を切り、濁水(だくすい)が一帯をのみ尽くした光景だった▼ふんどし姿で1カ月も泥の中をはい回った山中は、このときに患った病で命を落とした。だが真の犠牲者は、現地の住民である。畑は没し(ぼっし)、城壁はくずれ、民家は流された。「惨憺(さんたん)たる活地獄(いきじごく)」と、当時の朝日新聞は書いている。死者・行方不明者は89万人にのぼったとされる▼戦争は愚かしい(おろかしい)。その過程で目の眩んだ(くらんだ)者は、人の手でおさえきれない、さらに愚かな行為に手を染める。のちには日本軍も同じような作戦を行った▼誰かが過ち(あやまち)を繰り返した、というべきだろう。ウクライナ南部のカホウカ・ダムが決壊して1週間がたった。死者は少なくとも14人にのぼる、とウクライナ側はいう。あの広い惨状を見れば、それでは済むまいという冷酷な予感も頭をよぎる▼現地では、いまも約70万人が飲み水に困っているという。なのにロシアによる避難民への攻撃はやまず、国際的な支援の手も伸ばしきれない。犠牲の数が増えるのを、歯がみして見つめるばかりだ▼せめて浸水区域だけでも戦火をとめるわけにいかないのか。ダム決壊が何ゆえかは知らぬ。ただ、住民の保護に思いを致さぬ国は、戦闘に一時勝ったとしても、その名が長く続くはずはない。