2023年8月31日 5時00分
海に流す
10年ほど前、インドネシアのジャワ島(じゃわとう)である光景を見た。正装した地元の漁師(りょうし)ら約50人が、海岸で儀式をしていた。祈りのあと、果物や卵、もち米などを載せた盆を手に一斉(いっせい)に海へ入っていく。「南海(なんかい)の女神(おんながみ)」の加護を受けるために海へ流すのだという▼海底宮殿(うみぞこきゅうでん)に住む女神は精霊(せいれい)を支配し、怒ると天災などをもたらす。緑色(りょくしょく)が好きで他者が着るのを嫌う(きらう)ので、漁師は絶対に緑(りょく)の服で船に乗らないそうだ。時に危険な海への注意を促す知恵なのだろう。波間(なみま)を漂う供物(くもつ)に、漁村(ぎょそん)の民俗(みんぞく)と風物(ふうぶつ)に触れた(ふれた)思いがした▼福島の漁業民俗を記録した『春を待つ海』を読み、ジャワ島の荘厳な儀式が頭によみがえってふと思った。「海に流す」という行為は、漁師の社会でどんな意味を持つのか。国は違えど、共通する民俗があるのかもしれない▼民俗学者の川島秀一(かわしま しゅういち)さんは、定年を機に5年前から福島県新地町(しんちまち)で漁船の乗組員(のりくみいん)をしている。原発の処理水放出についても漁師の視点から考察し、科学的な説明とは別の次元(じげん)から問い直さなければ解決しないと訴える▼海は「汚れ(ケガレ)を祓(はら)うために禊(みそぎ)をする清らかな(きよらかな)水」でなくてはいけない。波は行き来を繰り返し、海へ流したものは時間をかけて陸から離れる。そうしたとらえ方では、処理をした水でも「疑念を抱くことは、当然であるように思われる」という▼処理水の放出が始まって、きょうで1週間になる。科学的な安全と社会的な安心は異なる。漁業関係者の困惑(こんわく)が、いまは少し違ってみえる。