2023年8月29日 5時00分

はるかなる月

 儒学者(じゅがくしゃ)の父に抱かれた(だかれた)幼児(ようじ)が夜空(よぞら)を見上げて尋ねる。「月より高いものはあるの?」。太陽は月より高く、星は太陽より高い。父がそう答えると、では星より高いものはあるかと聞いたという。江戸時代の天文学者、麻田剛立(あさだ ごうりゅう)は幼少時(ようしょうじ)から月や太陽に強い興味(きょうみ)を示した▼その名が知られたきっかけは、260年前の9月1日に起きた日食(にっしょく)だ。幕府の暦(こよみ)にない現象を1年前に予測し、始まった時刻も欠けた時間も「少しも違わなかった(ちがわなかった)」(渡辺敏夫(わたなべ としお)『近世日本科学史と麻田剛立』)。望遠鏡(ぼうえんきょう)をのぞき、日本最古(さいこ)の月面観測図(つきめんかんそくず)も描いた▼日本に近代天文学の礎を築いた(いしずえ を きずいた)麻田に師はおらず、独学だったというからすごい。こつこつと観測して理論を裏付け、優秀な弟子らへ惜しまず(おしまず)伝えた(つたえた)。その功績で、月のクレーターの一つは「アサダ」と名付けられた▼いま、月探査へ熱い視線が注がれている。米ソ冷戦後に下火(したび)となったが、火星を視野に入れた米国が再び有人計画を進め、中国やインドが月面着陸を果たした。覇権争い(はけんあらそい)の様相(ようそう)を呈する一方、コストが減り民間企業の参入も相次ぐ▼日本ではきのう、月探査機を搭載した基幹ロケット「H2A」47号機の打ち上げが直前に中止された。度重なる(たびかさなる)延期は残念だが、上空(じょうくう)の強い風のせいだと聞いて思い出した。あの巨大なロケットは繊細な精密機械の塊(かたまり)だったと▼夜空を仰ぐと(あおぐと)、明後日(あさって)に満月(まんげつ)を控えた月がだいぶ丸い。あそこを人が競って(きそって)目指す日が来るとは、麻田は考えもしなかっただろう。

麻田 剛立(あさだ ごうりゅう、享保(きょうほう)19年2月6日(1734年3月10日) - 寛政11年5月22日(1799年6月25日))は、江戸時代の日本の天文学者である。

豊後国(ぶんごのくに)杵築藩(きつきはん)南台西(現在の大分県杵築市)出身。元々は綾部(あやべ)姓であったという。儒学者綾部安正(絅斎)の四男。幼名は庄吉良で、名は妥彰(やすあき)。初め璋菴(しょうあん、表記は「正庵」とも)、後に剛立と号した。