2023年8月27日 5時00分
寄り添う」という欺瞞
沖縄・辺野古(へのこ)の埋め立て(うめたて)を、政府が2018年に始める少し前のことだ。朝日歌壇(かだん)にこんな歌が載った。〈沖縄の民の意思を汲(く)まずして寄り添うというは如何(いか)なる策か〉南條憲二(みなみしの けんじ)。悲しいかな、「沖縄」を「福島」に変えて、いま歌はそのまま成り立つ▼ふり返れば岸田文雄首相は先週、東電福島第一原発を訪れ、漁業(ぎょぎょう)関係者らの懸念に「継続的に寄り添って対応していく」と語っていた。その4日後(よっかご)に処理水は海へ放出(ほうしゅつ)された▼国際原子力機関が報告したように、放出計画は科学的には安全基準を満たすものなのだろう。とはいえ「関係者の理解なしにはいかなる処分(しょぶん)も行わない」と文書を交わしたのは、他ならぬ自民党政権である。約束を承知のうえで、放出という政治的決断を下すなら、せめて相応の進め方があって然(しか)るべきだ▼なのに、誰も「申し訳ない」と地元でわびもしない。首相は福島まで行って、漁業関係者の声も聞かずに帰る。それでいて「寄り添う」と平然と口にして恥じない。地元から「一定の理解を得た」と、閣僚も言う。つまりは政治に情がない▼かつて自民党の野中広務(のなか ひろむ)元官房長官は、沖縄に米軍基地の負担を強いることについて、地元の新米県議(しんまいけんぎ)に「すまん。許してくれ」と頭を下げた。寄り添う、とはそうした姿勢の先に初めて生まれてくる言葉であろう▼約束を果たさずにわびもしない。そんな首相に、被災地の漁業の未来について「全責任をもって対応する」と力まれても、信じられるはずがない。