2023年8月6日 5時00分
きょう広島原爆の日
それは格闘(かくとう)だったという。妻の俊(とし)が人物を描くと、夫の位里(いり)が「リアルすぎる」と上から墨をぶちまける(dump)。俊が描き直す。丸木夫妻(まるき ふさい)が「原爆の図」第1部・幽霊を仕上げたのは1950年だった▼「まるで地獄じゃ、ゆうれいの行列じゃ、火の海じゃ。鬼の姿が見えぬから、この世の事とは思うたが」。同じ年にそう書いている。原爆の数日後に夫妻は広島を訪れていた▼だが展覧会では当初、「誇張だ(こちょうだ)」「なぜ人物が裸なのか」と詰られた(なじられた、 blame)そうだ。GHQの報道統制で、人々は何も知らなかった。被爆者が言った。「誇張とはなんだ。わしの娘は魚が焦げたみたいになって死んどった」。真実はもっとひどい、もっと描いてくれ。声に押され、第15部まで続けた▼一連の作品はいまや、被爆の実相(じっそう)をおもう時の原風景のひとつだろう。歳月を経て傷んだ(いたんだ)第1部の修復が、今夏(こんなつ)終わった。埼玉県の丸木美術館で前に立った。異様な力が迫り、苦しいのに目を離せない。言葉を探す。いや、その前に心に焼き付けろ。絵が命じる▼無言(むごん)の対話をしつつ、思いは過去と現代を行き来した。こともあろうに、広島の名を冠した文書で、G7の首脳たちは核抑止論を展開した。核兵器のむごさが、本当のところは分からなかったとみえる▼「原爆の図」第3部の前へ行くと、火葬前の遺体の山が描かれていた。折り重なった脚(きゃく)の間から、一つだけの眼(め)がこちらをにらむ。お前たちは、まだ核を捨てられぬのか――。現代を射抜く(いぬく)まなざしだった。
- 丸木夫妻